リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

久松十郎左衛門(1)

2013年10月16日 15時55分43秒 | 音楽系
この間の日曜にムジカ・レセルヴァータのコンサートがありましたので出かけました。このアンサンブルはチェンバロの岡田龍之介さんが主宰しているもので、アンサンブル「バロック時代」で一緒にやっている高橋君も入っています。

ムジカ・レセルヴァータにはあとリコーダーの国枝俊太郎さんとヴァイオリンの小野萬里も参加されていますが、小野萬里とはずいぶん前にお目にかかったことがありました。といってもそのときお話をしたわけではなかったですが・・・

1972年4月に日本で初めて古楽セミナーが静岡県の御殿場市で開催されました。その年の5月に私は初めて自分のリュートを手にすることになるのですが、そのセミナーのときはまだ楽器を持っていませんでした。

それにそもそもリュートコースというものもなかったのです。そのセミナーのテーマがバッハの失われたマルコ受難曲の(部分)復元演奏というものでした。そのマルコ受難曲はカンタータの198番の曲が使われていることが知られています。その198番ではリュートが使われているので、きっとそのセミナーに行けばリュートという楽器とそれを演奏する人に会えるだろうということでのこのこと出かけたわけです。

予想通り生まれて初めて本物のリュートを触ることができ、その持ち主であるSさんにも会うことができました。Sさんはその後オランダに渡られ、現在は日本人学校のスタッフとして働いています。私が初めて渡欧した1976年にはいろいろお世話になった方で、その後2002年にアムステルダム近郊の彼のご自宅で再会をすることができました。

そのセミナーで初めてお会いしたというかこちらからは単に見ていただけというのが正しいですが、小野萬里さん(当時はご結婚前で中島姓でした)を初めてお見かけしました。まだリュートを弾いたこともないような私にとって、もうすでにバロック・ヴァイオリンを弾いてらした中島さんは雲の上にいるような方で、おいそれとお声をかけるなんてできなかったのです。それに中島さんはとてもお美しい方で私のあこがれのお姫さまみたいな方でした。

さて今回のエントリーのタイトルは久松十郎左衛門ですが、なかなかこのお侍のような名前の方のお話は見えませんですよね。でもそのうちつながっていきますから。つづきは次回。