今日はバロック音楽の旅17の第2回で「秀吉の聴いた西洋音楽」というタイトルでレクチャーをしました。
とても天気がよかったので行楽に出かけるのを優先してしまうのではと危惧しましたが、今年の応募者89名の内の大半の方にお越し頂き大盛況でした。きっと午前中にどこかに出かけてランチをして、そのあとでレクチャーに来られた方も多かったのでは。帰りはちょっと早めの夕食をとり温泉に立ち寄って帰宅するという一日コースの方もいらっしゃったかもしれません。
秀吉の聴いた西洋音楽については皆川達夫説の「皇帝の歌」が定説化しているという困った状況にありますので、まず皆川説を紹介して、それの矛盾点を指摘しつつ歴史的事実を立脚点にして可能性を推測するという流れでプレゼンを進めて行きました。
まず天正少年使節団の足取りを地図と年代を見ながら辿ってみました。途中の流れは省略しますが秀吉が聴いた音楽はパレストリーナ、アルカデルト、ゲレーロあたりが順当ではないかという推測をレクチャーでは示しました。いろんなファクトを積み上げていった上で可能性を提示したわけです。いきなり「皇帝の歌」だと決めつけてあとでその理由をつけていくという乱暴なことは致しません。
それから秀吉に聴いてもらった音楽は宗教曲ではなく世俗曲だったろうという推測も致しました。それは秀吉の御前演奏(1591)から遡ること4年前、少年使節の一団が日本に向けてリスボンを出帆した1年後、に伴天連追放令が秀吉から出されていたからです。伴天連追放令が出されているさなかに、異教徒である「『暴君』秀吉」(ルイス・フロイスの記述による)の前で宗教曲を演奏するほどイエズス会の面々は愚かではなかったでしょう。
こうして可能性を積み上げて推測を試みたわけですが、これはあくまで中川による推測、具体的にどういう曲なのかについてはもう手がかりはないし、求める必要もないでしょう。この先はファンタジーの世界ですから自由に想像すれば楽しいのではないでしょうか。
さて、次回の講座からはコンサートシリーズです。初陣の第3回講座は私がつとめます。11月17日です。興味のある方は是非ご参加下さい。詳細は私のHPをご覧下さい。
とても興味深いですねえ。
私はまだ諦めきれませんが、現代でも例えば、王室主催の晩さん会とかのメニューが保管されていたり、参加した貴賓らも自宅などでメニュー表を保存していたりすることもあります。祈念的な催しの献立、司会議事、進行等、紙に記された物を大事に取っておくことはよくあることです。
そう思うと、秀吉の前で祈念的な御前演奏では、楽譜を使っていたと思うのです。
その楽譜が残っていないかということなんですよね。演奏が終われば各自、持ち帰るでしょうが、子孫の家、親しい親族、知人、旧家など、どこかに保管されていることも否定はできないと思うわけです。
すでに400年以上も経過している現状では難しいでしょうが、いつの日か解体、整理等で発見されることを期待したいです。