渡部平太夫は幕末の桑名藩士で、柏崎に赴任していた息子勝之助との9年余りにわたる交換日記で知られています。越後国柏崎は桑名藩のとび地で結構な石高をあげていたようです。そのあたりの詳細は、加藤淳子著「下級武士の※日記」(平凡社新書)に詳しいです。
この交換日記、「桑名・柏崎日記」はいろんな本で取り上げられています。本間寛治著「幕末転勤傅、桑名藩渡部勝之助の日記」をもとにテレビドラマ化されたこともありました。
以前桑名市の博物館で江戸時代の桑名地図の大廉売がありました。その中に1.5メートル四方になろうかという巨大な侍住宅地図があり、それに渡部平太夫の住宅がちゃんと載っていました。この地図は文政8年に書かれたものを明治45年に筆写したものを現代に複製印刷したものですので、平太夫が生きていた頃に作られたものです。
以前このブログでも書いたことがありますが、テレビドラマかされたとき、平太夫の住宅は「お屋敷」という感じの広々したものでしたが、地図でみると敷地は50坪にも満たない大きさです。
地図にある道が少しなくなっているので、平太夫の住宅跡が若干特定しにくいですが、多分このあたりです。現在は空き地になっていますが、この空き地を四等分して奥の右側あたりが多分地図に表されている平太夫の住宅があったところです。
桑名・柏崎日記に関する本を読んでからここに行くと当時の街の様子や人々の暮らしが見えてくることうけあいです。
<所在地>千代田町界隈
<交通>立坂神社(地図の「八幡」とあるところ)をめざし、神社の参道を南下、お寺の角を右に曲がったところ。
この交換日記、「桑名・柏崎日記」はいろんな本で取り上げられています。本間寛治著「幕末転勤傅、桑名藩渡部勝之助の日記」をもとにテレビドラマ化されたこともありました。
以前桑名市の博物館で江戸時代の桑名地図の大廉売がありました。その中に1.5メートル四方になろうかという巨大な侍住宅地図があり、それに渡部平太夫の住宅がちゃんと載っていました。この地図は文政8年に書かれたものを明治45年に筆写したものを現代に複製印刷したものですので、平太夫が生きていた頃に作られたものです。
以前このブログでも書いたことがありますが、テレビドラマかされたとき、平太夫の住宅は「お屋敷」という感じの広々したものでしたが、地図でみると敷地は50坪にも満たない大きさです。
地図にある道が少しなくなっているので、平太夫の住宅跡が若干特定しにくいですが、多分このあたりです。現在は空き地になっていますが、この空き地を四等分して奥の右側あたりが多分地図に表されている平太夫の住宅があったところです。
桑名・柏崎日記に関する本を読んでからここに行くと当時の街の様子や人々の暮らしが見えてくることうけあいです。
<所在地>千代田町界隈
<交通>立坂神社(地図の「八幡」とあるところ)をめざし、神社の参道を南下、お寺の角を右に曲がったところ。