リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ちゃうちゃう

2015年11月18日 10時49分24秒 | 音楽系
先日某テレビ番組で、(最近物忘れがひどくなり番組名が思い出せません。レレレなんとかみたいな感じでした)トランペットの歴史をやっていました。バロックトランペットからバルブ式の楽器にいたるまでいろんなタイプのトランペットをずらっとならべて演奏していくという趣向です。

モダントランペット(そのへんで普通に売っているトランペット)

最後に紹介されたのがピッコロトランペット。バロック音楽を演奏するために19世紀末になって開発された楽器ですが、もともとはバロック時代のトランペットの研究がすすんでいない時代に開発されたもの。今のバロック音楽演奏の視点から見れば「代用品」ともいえるものでしょう。

でも番組の司会者は、「バロック音楽を演奏するためにこれだけの改良が必要だったのですねぇ」なんておっしゃる。これって、ちゃうちゃう。権威ある放送局がこんな誤情報を流してはいけません。

そういや思い出しましたが、国語学の権威の大野晋さんが「ドラヴィダ語(タミル語)が日本語の起源である」説を唱えはじめて、インドのどっかにフィールドワークに行ったとき、彼のお弟子さんが「日本語の起源はこんなところにあったんですねぇ」なんておっしゃっていたテレビ番組のいちシーンがなんかよく似ていました。その後この説は批判に晒され大野さんは当初の説を破棄するに到るのですが。

話はトランペットに戻りますが、この番組はなんか進化論に基づいているみたいで、バロックトランペットがサル扱いされているみたいな感じを受けました。リュートが進化してギターになったわけでもないし、チェンバロが進化してピアノになったわけでもありません。同様にバロック時代のトランペットが進化してピッコロトランペットになった訳ではありません。その時々の音楽に合わせて楽器が変化していっただけのことです。


フェルメールの絵に出てくるバロック時代のトランペット

番組の最後にゲストの若い女性が「バロック時代のトランペットは色気がありますね」というコメントをしていました。これは素晴らしい救いのコメントです。バロック時代の楽器の特質を言い得て妙です。