俳句を始めてから18年になる。最初の2年間は上達したが、そこで止まってしまって、あとはまったく上達していない。俳句は才能である。私には俳句の才能がないようである。
俳句の先生に「俳句は副詞から腐っていく」と教わった。形容詞の使用も好ましくないそうである。副詞を使った俳句はたいがい初心者の俳句である。
近代俳句の祖、高浜虚子の句を見てみよう。
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 虚子
確かに副詞はおろか、形容詞も使っていない。それでいて、すごい情景描写である。
もう一句、私の好きな句。
浮巣見てこと足りぬれば漕ぎかへる 虚子
これも副詞も形容詞も使っていない。虚子の句を多く見ると、虚子は形容詞はたまに使うが、副詞は使わない。松尾芭蕉も使わない。
俳句の先生に教わるまで、その事実に気が付かなかった。
俳句の先生に「俳句は副詞から腐っていく」と教わった。形容詞の使用も好ましくないそうである。副詞を使った俳句はたいがい初心者の俳句である。
近代俳句の祖、高浜虚子の句を見てみよう。
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 虚子
確かに副詞はおろか、形容詞も使っていない。それでいて、すごい情景描写である。
もう一句、私の好きな句。
浮巣見てこと足りぬれば漕ぎかへる 虚子
これも副詞も形容詞も使っていない。虚子の句を多く見ると、虚子は形容詞はたまに使うが、副詞は使わない。松尾芭蕉も使わない。
俳句の先生に教わるまで、その事実に気が付かなかった。