語尾上げ言葉に遭遇したのは、10年ほど前、愛知県の女性においてだった。「それが?こうして?ああして?」と疑問型のようにいちいち語尾を上げるので、妙な話し方をする人だなぁと思った。
その後、またたく間に語尾上げ言葉は広まって、いまや全国区ではないか?言葉にはうるさいはずの親友も、知らないうちに語尾上げ言葉を使ってしまう。
言葉の変遷の速さを、この10年で思い知った。書き言葉でも、すでに戦前のものは分かりにくい。江戸時代の書き言葉になると、もっと分からない。このように言葉は生き物のように変わっていく宿命にあるようだ。
実は私たちの話し言葉も父母世代とは違っている。祖父母世代だともっと違う。
戦前に東大に留学していた台湾人の大先生がいる。その先生が来日して、親しくお話する機会があった。その先生の言葉に驚いた。日本語がぺらぺらであるのはもちろん、話すイントネーションや雰囲気が祖父母のものと同じなのである。
大先生は祖父母の言葉を覚えて台湾に帰り、何十年ぶりに来日したので、ロビンソンクルーソーのように、当時の言葉をそのまま保存していたのだった。
まさに生きた化石に出会ったような思いだった。
その後、またたく間に語尾上げ言葉は広まって、いまや全国区ではないか?言葉にはうるさいはずの親友も、知らないうちに語尾上げ言葉を使ってしまう。
言葉の変遷の速さを、この10年で思い知った。書き言葉でも、すでに戦前のものは分かりにくい。江戸時代の書き言葉になると、もっと分からない。このように言葉は生き物のように変わっていく宿命にあるようだ。
実は私たちの話し言葉も父母世代とは違っている。祖父母世代だともっと違う。
戦前に東大に留学していた台湾人の大先生がいる。その先生が来日して、親しくお話する機会があった。その先生の言葉に驚いた。日本語がぺらぺらであるのはもちろん、話すイントネーションや雰囲気が祖父母のものと同じなのである。
大先生は祖父母の言葉を覚えて台湾に帰り、何十年ぶりに来日したので、ロビンソンクルーソーのように、当時の言葉をそのまま保存していたのだった。
まさに生きた化石に出会ったような思いだった。