院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の俳句遍歴(2)

2011-08-12 21:09:22 | Weblog
 昔は名古屋の結社「牡丹」に投句していた。主宰が選をして順番を付けて会誌に載るのだが、投句してから載るまで2ヵ月もかかるので、まどろっこしかった。

 句会にも参加した。いつでも私が最若年者。ジジババばかりで雑談も面白くなかった。

 結社は主宰が絶対で、結社は主宰のファンクラブという感じだった。私が「牡丹」の句会に出席していたときの主宰は、このブログで何度か紹介した故浅野右橘氏だった。浅野氏は大変ハンサムで、バアサンたちのアイドル的存在だった。ときに浅野氏72歳。

 そのころは、まだインターネットは普及しておらず、私はパソコン通信をやっていた。ニフティーサーブというパソ通会社(今の@niftyの前身)があって、そこにQLDフォーラムという画像のフォーラムがあった。

 QLDというのは、そのフォーラムのシスオペ(責任者)で「魔女」というハンドルネームの人が作った画像ローダーの名称である。魔女さんはALD,BLD・・・とローダーを改良していき、QLDで一応の完成を見たので、画像フォーラムはQLDフォーラムと名乗った。

 昨日紹介したQLD句会はこのフォーラムから発生したので、その名がある。1993年のことだ。フォーラムのメンバーは句会を始めるに当たって、俳句の心得のある者を望んでいた。そこで私が呼ばれた。

 QLDフォーラムで始まった句会は、おそらく世界で初めてのネット句会だろう。暗中模索しながら、生句会のシミュレーションがネットでどこまで可能か、みなで知恵を出し合った。そこで合意した形式が現在まで続いている。

 インターネットの普及により、パソ通は役割を終え、QLD句会も場所をインターネットに移した。

 実際に足を運んで行う句会より、私はネット句会のほうが便利だと思った。だから未だにQLD句会を楽しんでいる。

 魔女さんはインターネットの今日の隆盛を見ることなく、1990年、若くしてバイク事故で亡くなった。この伝説のシスオペについてはウィキペディアにも詳しく書かれている。