院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

45年前の東京の大雪

2014-02-09 18:11:19 | 生活
 このたびの大雪は東京では45年ぶりだそうだ。当時、東京に住んでいた私は、45年前の大雪を鮮明に覚えている。それは私が名古屋の大学(今の母校)を受験した日、1969年3月4日だったからだ。

 受験のときには名古屋の上前津という中心街の旅館に泊まった。3人相部屋の受験宿で、いまのように受験生がホテルの個室をとるという贅沢なことはなかった。旅館の食事も30人くらいの受験生が広間で一緒に食べた。みな同じ大学の医学部の受験生だった。その宿が大学の紹介だったからだ。

 私は緊張でほとんど食事が食べられなかった。それを見て別の受験生が「おまえ食べないのか?じゃあもらっていいか?」と私の分まで食べた。この時点で私は「負けているな」と思った。

 受験生たちはみな明るく、「この大学は俺は滑り止めだ」とか「俺はIQが160ある」とか大きなことを言っていた。中にはエロ本をもってきて、「おまえも見ろよ」と勧めてくれる受験生もいた。私は気押されて大人しくしていた。

 なにせその年は大学紛争が激しく、東大と東京教育大(筑波大の前身)が入学試験をとりやめたので、受験界は大混乱になっていた。私たちは最後のベビーブーマーで受験生総数が現在の1・7倍くらいいた。それなのに医学部の総定員は4,000名で現在の半分。ベビーブーマーは、他の世代が知らない激烈な競争にさらされてきたのだ。

 2日目の最後の試験は数学だっただろうか?試験がすべて済んで、ああ終わったと思ったが、解放感はなかった。ちょうどそのとき、名古屋では雪が舞いはじめた。雪もよいの中を私は東京への帰路についた。

 帰りの新幹線内で私は一所懸命試験の検算をしていた。それを見た隣りの席のおじさんが「受験に行ってきたのかね?」話しかけてきて、車内販売のプリンをおごってくれた。

 東京駅に着くと、雪は一層激しくなっていた。自宅の横の急坂は凍り付いていて、下るのが一苦労だった。その坂でスキーを楽しんでいる人がいた。それが45年前の東京の大雪に他ならない。

 で、その大学に入学してみると、同じ受験宿に泊まった連中は、なんと一人もいなかった。