院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

自分で作らにゃ意味がない?

2013-09-26 06:42:21 | 技術

(オリンパス・フォトパスより。)

 だいぶ昔の話だが、友人同士が言い争っていた。一方はWINDOWSの素晴らしさを語り、他方はマックOSがいかに優れているかを主張して互いに譲らなかった。激しい応酬になり、君はどう思うかと私に話を振られた。

 私が「どちらも僕が作ったOSではないから。僕が作ったものなら自分のOSの良さを主張するけど」と答えたら、白けて対立は終わってしまった。

 鉄道ファンが鉄ちゃんと呼ばれて、カメラを構えて駅や踏切に人垣を作っている。確かに鉄道は美しい。それは単に彫刻のように鑑賞するためのものではなく、輸送するという機能があり、その機能を実現するために知恵の限りが尽くされているからだ。

 だが、私は鉄ちゃんにはなれない。なぜなら、それは所詮他人が作ったものだからだ。私ならもっと美しい鉄道を作りたい。

 私が住む豊橋の近くに日本車両という電車を製造する会社がある。そこの社員を知っている。彼は鉄道の床下のバネの強度はどれくらいなければならないか、といったことまで知っている。彼はもと鉄ちゃんである。本当の鉄ちゃんは、ここまで極める必要がある。彼から見れば、新型車両の前で群れなしている人々は鉄ちゃんのうちに入らないだろう。

 私がプロ野球やサッカーを見ないのは、「自分でやらなきゃ意味がない」という気持ちがあるからかも知れない。

(いつものことですが、私の意見はかなり偏ったものでしょう。プロの妙技を鑑賞することも大きな楽しみの一つだと思います。反論を期待します。)

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2 コメント

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Unknown (京都で定年後生活)
2013-09-26 12:33:32
先生のようなお考えもあることに妙に感心しています。
私は今年の3月末60歳で定年退職しました。今は美術館や博物館、庭園めぐりなどを楽しみにしています。若い頃絵画をかじったことがありますが、凡人の域をでないことを痛感し、今は観賞一筋です。
世間の評価は横におき、自分が気に入った作品に出会うとほんとうに嬉しくなります。難しいことは抜きに素晴らしい絵画に出会えたことに嬉しくなります。
先生が以前の記事でダリのことを書いておられましたが、内容は私も全くの同感です。人様がどんなに名画だと評価しても、自分のフィーリングにあわなければ
それまでです。名画かどうかではなく、自分が好きかどうかで私は美術館に足を運んでいます。
庭園観賞もそうです。人の評価を抜きに、実際その場所に座ってみて、ホッコリする庭が好きです。
自分は画けないが、観賞することは好きです。
自分でやらなきゃ意味がないとのご意見ですが、私は自分ではやれないけど、スポーツなども見るのは好き
です。
京都で定年後生活より

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亡父との美術館めぐり (管理人)
2013-09-27 00:23:55
京都で定年後生活さん、コメントありがとうございました。御ブログ拝見しました。美術がお好きなのですね。
亡父が美術好きで、私は幼いころから美術館に付き合わされました。10代には東京に住んでいたので、上野の美術館めぐりは父と何回したか分かりません。父は木彫をやっていましたが素人芸の域を出ませんでした。父は絵画の中では日本画が好きで、山種美術館がたいそう気に入っていました。(山種美術館は現在は狭いですが、昔は山種証券本社の最上階全部が使用されており、横山大観らの名作などがたくさんあるのに、入場料は50円でした。)
そうした影響でしょうか、私も若いころ油絵をやっておりました。ダリを褒め称える人たちへの「疑念」は当時からもっていました。彼らは本当に感動しているのだろうか?と。
今後ともよろしくお願いいたします。

以下の記事もご参照いただければと思います。

http://blog.goo.ne.jp/nakazato-hitoshi/e/a4a2075decaaf11a69e8059c1939d29b
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