院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

イケメンは得だ

2014-02-13 05:55:43 | 文化
 5日前のこの欄で、美人は得だという趣旨のことを書いた。だが、実はイケメンも得である。

 医学部の1学年上の学生がバンドを組んでいた。ロックではなくポピュラー音楽の歌なしのバンドだった。このバンドには、なんと女子高生の「追っかけ娘」が付くようになった。

 まあ、演奏もうまいほうだったが、まずイケメン揃いだった。カメラを手にした「追っかけ娘」が発生したのは主にそれが理由だと思われる。

 学生バンドの「追っかけ娘」は利口だと思った。プロのバンドだと入場料を支払わなくてはならない。学生バンドだとそれが必要ない。ジャニーズなどのタレントだと、競争相手の「追っかけ娘」が多いし、地元だけで公演するとは限らない。1メートル前での演奏はありえず、握手もしてくれない。

 どうせ高嶺の花なら、身近な方がよいだろう。握手をしてくれるかもしれない。医学生のバンドは学歴においてもジャニーズより上である。イケメンにプラスして学歴も「売り」になったのかもしれない。

 名古屋では現在、名古屋城の「おもてなし武将隊」というご当地グループが人気である。彼らは入場客に名古屋城の説明をする名古屋市の臨時職員だ。お堅い名古屋市役所が作ったグループだが、予想以上に人気が出てしまった(下図)。名古屋市役所は外見で選んだわけではないと主張するが、なぜかイケメンばかりである。


名古屋城公式HPより引用。)

 むかし「男は中味」と言った。女性の社会進出が推進されれば「女も中味」ということになるだろう。そうなると他方で、女性が容姿で選別されてきたのと同じく、男性もますます見かけが重要な世の中になる。イケメンが得な時代はもう来ている。

「神経障害性疼痛」とは何か?

2014-02-12 06:38:53 | 医療

薬事日報より引用。)

 製薬会社が「神経障害性疼痛」という言葉を普及させようと、テレビで宣伝している。「疼痛」が「炎症性」でなければ「神経障害性」だから、「お医者さんに相談しましょう」という。「神経障害性疼痛」なんて同語反復で意味が分からない。

 製薬会社がこのような宣伝をするのは、リリカという鎮痛剤を売りたいためだ。リリカは、確かにもう治ったはずの帯状疱疹後のしつこい疼痛に効くことがある。炎症性ではなく、原因不明の疼痛は世の中には多い。そうした現状をうまく捉えて、「神経障害性疼痛」という初耳の言葉をどこからか持ってきて、リリカを売ろうとする魂胆だ。

 薬にはプラセボー効果というのがあって、「効くぞ」と言われると本当に「効いて」しまうものである(2013-06-26)。リリカのプラセボー効果を狙って、「神経障害性疼痛」という耳慣れない用語を宣伝するのは、あざといという他はない。原因不明の疼痛がある人はみな「自分は神経障害性疼痛なんだ」と考えてしまうだろう。

 「神経障害性疼痛」という曖昧な「病名」を保険病名として認めた厚労省も厚労省である。昔からアリナミンを医薬品と認めて、インチキで非科学的な宣伝をとがめないのだから当然か?(2013-08-07)。(もっとも、アリナミンに健康保険が利くのは、飢餓や脚気などの本物のビタミンB1欠乏症だけで、眼精疲労や肩こりでは健康保険は利かない。そこはさすがに厚労省も押さえているが・・。)

バーが潰れる

2014-02-11 06:52:57 | 食べ物
グルメサイト・ヒトサラより引用。)

 地元のバー組合が席料免除のキャンペーンを始めた。どうもバーからの若者離れが激しいかららしい。

 そりゃあそうだろう。居酒屋では「つきだし」に金を取るかどうかが大問題になっている。注文する前から「つきだし」が出てきて、それに料金を課されるのは私たちの世代でも釈然としないものがある。若者がバーの席料を嫌うのは当たり前だ。地元のバーの席料は500円から1,000円である。居酒屋ならその額でもう1,2品注文できる。

 バーの定義はとくにないという。常識的な定義として、まずカウンターがあること、次にバーテンダーがいること、そして最後に席料があることだそうだ。

 私たちの世代でも、バーにはほとんど馴染みがない。洋酒しかないのが気に入らない。カクテルなんて、とくにご指定のものなぞない。だから、いきおいウイスキーだけを飲むことになる。

 バーのつまみは、レストランでもないくせに妙に凝っているのがしゃらくさい。ではレストランのように徹底的なこだわりがあるかというと、けっこう手抜きである。そんなものに席料があるというのが、そもそもおかしい。

 私がよく行ったバーは、必ずライブ演奏をやっていた。演奏が上手ければ、席料は演奏代と考えることができる。音楽でなくて女性目当ての人はホステスがいるバーに行く。男のバーテンダーしかいないバーなんて、そもそも日本では需要がなかったのだ。麻生副総理のような高貴な出の人がホテルの高級バーに行けばよい。バーとは元来、そのような需要しかなかったのではないか?

 地元の名もないバーはじきに潰れるだろう。席料免除はその前触れである。若者はカウンター式の寿司屋も嫌う。どれだけ請求が来るか分からないからだ。板前と話をするのも鬱陶しいという。

 カウンター式の寿司屋が潰れるとはいつぞや書いた(2013-03-25)。でも、それよりもバーが全滅する方が早いかも知れない。

NHK全国短歌大会

2014-02-10 06:03:15 | 俳句
 きのうNHK全国短歌大会のもようをテレビでやっていた。大会は2002年から開かれていたらしいが、今年初めて気がついた。

 入選20首が発表され、それぞれの作者も出演していた。このような番組や新聞の短歌欄を見て思うのだが、私はプロが作った短歌よりも、いまのところアマチュアが詠んだ歌の方が好きだ。

 20首のうち、大賞が5首選ばれた。私がもっとも気に入った次の歌は大賞を逃した。

   泣き顔をぱっと笑顔に変える技もってゐました病む夫の前  坂上民江(兵庫県)

 まったく泣かせる歌ではないか。前に私は、格言のような歌が好きで、人生を嘆く歌は好まないと述べたが、専門家によると短歌とは元来「嘆きの文芸」なのだそうだ。花鳥諷詠を最上とする俳句とはだいぶ違う。

 私は俳句や短歌のような定型詩は理解できるが、自由詩は日本のも海外のも理解できない。それについてはまた述べる機会があるだろう。

45年前の東京の大雪

2014-02-09 18:11:19 | 生活
 このたびの大雪は東京では45年ぶりだそうだ。当時、東京に住んでいた私は、45年前の大雪を鮮明に覚えている。それは私が名古屋の大学(今の母校)を受験した日、1969年3月4日だったからだ。

 受験のときには名古屋の上前津という中心街の旅館に泊まった。3人相部屋の受験宿で、いまのように受験生がホテルの個室をとるという贅沢なことはなかった。旅館の食事も30人くらいの受験生が広間で一緒に食べた。みな同じ大学の医学部の受験生だった。その宿が大学の紹介だったからだ。

 私は緊張でほとんど食事が食べられなかった。それを見て別の受験生が「おまえ食べないのか?じゃあもらっていいか?」と私の分まで食べた。この時点で私は「負けているな」と思った。

 受験生たちはみな明るく、「この大学は俺は滑り止めだ」とか「俺はIQが160ある」とか大きなことを言っていた。中にはエロ本をもってきて、「おまえも見ろよ」と勧めてくれる受験生もいた。私は気押されて大人しくしていた。

 なにせその年は大学紛争が激しく、東大と東京教育大(筑波大の前身)が入学試験をとりやめたので、受験界は大混乱になっていた。私たちは最後のベビーブーマーで受験生総数が現在の1・7倍くらいいた。それなのに医学部の総定員は4,000名で現在の半分。ベビーブーマーは、他の世代が知らない激烈な競争にさらされてきたのだ。

 2日目の最後の試験は数学だっただろうか?試験がすべて済んで、ああ終わったと思ったが、解放感はなかった。ちょうどそのとき、名古屋では雪が舞いはじめた。雪もよいの中を私は東京への帰路についた。

 帰りの新幹線内で私は一所懸命試験の検算をしていた。それを見た隣りの席のおじさんが「受験に行ってきたのかね?」話しかけてきて、車内販売のプリンをおごってくれた。

 東京駅に着くと、雪は一層激しくなっていた。自宅の横の急坂は凍り付いていて、下るのが一苦労だった。その坂でスキーを楽しんでいる人がいた。それが45年前の東京の大雪に他ならない。

 で、その大学に入学してみると、同じ受験宿に泊まった連中は、なんと一人もいなかった。

「美人」の変遷

2014-02-08 05:33:01 | 文化
 権力者の妻が美人ということにされるのであって、美人が権力者の妻になりやすいわけではないと、むかし書いた。(2006-09-04)

 同時に美人や美人画の美しさは文化に規定されるとも書いた。だから、文化が違えば(国や時代が違えば)美人の種類が変わることは容易に想像できる。

 話は跳ぶようだが、このほど大リーグのヤンキースに入団した田中将大選手の奥さんは、タレント出身の大変な美人である。その美しさがアメリカでも通用するのかどうか疑問に思っていたら、通用したようだ。あるアメリカの雑誌が「美しすぎる田中選手の妻」というような特集を組んだそうだから。

 モデルの佐々木希さんは4年連続、女優の桐谷美玲さんは2年連続、他にも日本人芸能人3人がアメリカの芸能サイトが選んだ「今年の世界の美女100選」(下の動画)に入ったから、彼女らはアメリカにも通用するようだ。美人の基準にもグローバリゼーションが行われている。

The 100 Most Beautiful Faces of 2013



(リブロポート刊。現在では朝日文芸文庫に文庫化。)

 だいぶ前に上の本を読んだ。この本は美人の基準を考察したものではなく、わが国のメディアが美人をどう扱ってきたかを、昔の新聞雑誌記事を総ざらえして調べたものである。

 明治期の出版物に共通するのは、美人をこきおろしていることである。やれ高慢だの、やれ性根が悪いだの、さんざんに書かれている。こう書けばメディアは売れたのだろう。

 女性は高校生くらいから20年以上にわたり美醜で判断され続ける。現代では美人に損になることは何もないから、女性の大多数を占める不美人は立つ瀬がない。マスコミはもう一度、明治時代の美人叩きを復活してはどうか。それがバランス感覚というものである。

投書「食事囲んで家族で話そう」

2014-02-07 06:02:43 | マスコミ

ちびまる子ちゃんランドHPより引用。)

 先日の中日新聞(愛知県版)の投書欄に「食事囲み家族で話そう」という投書が載っていた。家族団らんは大事だという、ありがちな意見だからあとは言わなくても想像がつくだろう。

 その数日後、「団らんにあこがれる」という16歳の少女の投書が載った。少女には父親がなく、母と姉3人暮らしで、それぞれに忙しく一緒に食事ができないとのことだった。アニメの「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」のように、喧嘩しながらでも団らんができる家族にあこがれると書かれていた。

 私はてっきり前の投書に対して、「やりたくてもできないんです」という反論かと思った。

 ところがその少女は「食事囲み家族で話そう」という意見に大賛成だった。そして「自分も家族をもったら、絶対に団らんをもてる家族にするんだ」と結ばれていた。あまりの素直さに私は胸が熱くなるものを感じ、自らのひねくれを恥じた。

懐かしの学童保育所

2014-02-06 06:48:42 | 生活

名古屋市学童保育連絡協議会HPより引用。)

 保育所の待機児童が問題になっている。それもそうだが、保育所が預かる年齢は小学校就学までなのに小学生は早く帰ってくる。そこからがまた問題で「1年生問題」と言われている。

 私は今でも共働きだが、1985年ころ息子や娘が小学校に入学するときには困った。近隣に同じような境遇の親たちがいて、学童保育所を作ろうという話になった。A君のお父さんがマネジメントに長けた人で、彼を中心に空き家を借り、お父さんたち(私も)が大工仕事をして空き家を改造。そこに20代男性の指導員を招き、独力で学童保育所を設立した。

 学童保育所に行政が関与し始めたのは1997年のことで、私たちが学童保育所を作ったのは先駆的な仕事だった。

 A君のお父さんは頑張って学童保育所を維持し、若い指導員の人生相談にも乗っていた。彼が指導員に「おまえは一生、指導員をやるつもりか?将来のことを考えておけ」と言っていた場面に偶然出くわした。鮮明に残った記憶である。

 その後、A君のお父さんは定年退職し、名古屋から岐阜県に引っ越していった。私も当地に転勤となり、名古屋を離れた。

 ところが先日、ほぼ30年ぶりにA君のお父さんから連絡があり、名古屋で呑みましょうという話になった。名古屋の料理屋に当時のお父さんたちが集まり、久々に旧交を温めた。みんな、すっかりお爺さんになっていた。むろん私もだが・・。

 昔の子どもたちは、皆ちゃんとした大人になったそうで、立派にやっているらしい。東日本大震災のときもそうだったと思うのだが、日本では危機になると必ずA君のお父さんのような人が出現して、事態を収拾するのではないか?日本はいい国である。

空海と真言密教(3)(支配者のための真言密教)

2014-02-05 05:07:39 | 歴史
 「鳴くようぐいす平安京」とは懐かしい標語である。794年に桓武天皇によって遷都が行われ平安京が作られた。ときに空海は15歳で桓武天皇の皇子の家庭教師に就任し、すでにこのときから朝廷とは関係があった。24歳で比較思想論を書いたというから、大変な秀才だったと思われる。

 空海と最澄が804年、遣唐使として中国に渡り、中国の進んだ文物と密教を日本に持ち帰ったのは、あまりにも有名な話である。(前回、密教がインドで発生したと述べたが、それがどのようにして中国に伝わったのかは、私は勉強していない。)

 聖徳太子のころの仏教には、前回述べたように「如来」、「菩薩」という階層性がすでに存在していたから、空海、最澄が伝えた密教は、それまでのわが国の仏教と大きな違いはなく、「再輸入」なのではないか?飛鳥時代には静かに入ってきた仏教が、平安時代には遣唐使という帰国が絶望的に近いミッションによって、先進国である唐の豊かな文物とともに鳴り物入りで密教としてもたらされたから、密教は「再輸入」であるにもかかわらず、新規な思想が輸入されたように見えたのかもしれない。

 密教は呪術仏教で祭祀を重んじ、祭祀によって国を鎮めるとか病気を治すと信じられていた。桓武天皇が病気のとき、最澄が加持祈祷を行ったのだが、それは一大イベントとして世に知られることになった。すなわち密教の祭祀は政治と同義だった。

 つまるところ密教は支配者のための仏教であり、信仰していたのは貴族など支配階級に限られていた。鎌倉時代入っても、密教は武士のものだった。後に一般大衆や被差別民にまで信仰されるようになったのは、密教ではなく別の仏教だった。

 こうして前々回の述べた、徳川幕府がキリスト教を弾圧して仏教を受け入れたことがようやく理解できるのだが、幕府が採用した仏教が真言密教そのものだったのかどうか、今後、勉強したい。少なくとも真言密教のセンターである比叡山が権力志向的だったから、室町時代の足利将軍家と比叡山のたびかさなる抗争を考えなくても、同じく権力の権化である信長によって焼打ちにあったことは何の抵抗もなく了解できるのだ。

 ともあれ、空海は若年のころから朝廷と結びついており、朝廷の跡目争いの「薬子の変」では嵯峨天皇の側に付き護国の加持祈祷を行って、勝利に導いた。だから、空海は伝説的ヒーローとなって、わが国のビッグネームとして現在まで残っている。

 密教が支配者の仏教だったことは、空海の書き残したものからも分かる。著書『補闕抄』で「旃陀羅(バラモン教でいう不可触)は菩薩の大悲も救護(くご)すること能はざる所なり」と空海は不可触を最初から見放している。

 空海の偉業は権力者からトップダウン式で日本中に伝わった。有名になるにはもっとも合理的な方法だった。ただし後に空海は本居宣長に批判され、明治時代にも廃仏毀釈のときに批判されたけれども。

 
 空海が開いたとされる温泉がたくさんあるが、それらは山師が勝手に名乗ったものである。四国八十八か所は若き空海が辿ったとされているけれども、本当のところは分からない。

 (記述に当たり、沖浦民俗学を大いに参考にした。沖浦和光の著書は例外なく面白いからお薦めする。)

空海と真言密教(2)(インドにおける密教の発生)

2014-02-04 05:46:30 | 歴史
 紀元前3世紀に初めてインド全土を統一したのはアショカ王である。彼は暴君だったとの伝説もあるが、少なくともインド中に仏教を広めた。

 その後、インド北西部のアーリア人がインドに進出してきた。アーリア人はヒンドゥー教をインドに持ち込んだ。カースト制はヒンドゥー教の基本的な前提であり、その貴賤を区別する思想はインドの各地域を支配していた豪族に受け入れられやすく、インドにおける仏教はヒンドゥー教によって撲滅または変容させられた。

 仏教がヒンドゥー教化されたものが密教に他ならない。!!

 アーリア人はコーカソイド(白人の系列)である。彼らはインド原住民(モンゴロイド、黄色人種の系列)を制圧してカーストの最下層に置き、階級制度を固定化させた。

 近現代まで行われている白人による有色人種への抑圧が、すでにこのころに始まっていたとは驚く。中世以来の欧米諸国のアフリカ、南米、アジアでの植民地支配、つい3年前の英仏軍による(カダフィ支配下の)リビア爆撃も同じ構図である。

 余談だが現在、インド人の半数がカーストの最上位バラモンを名乗っている。一方で、不可触といわれる人々が1億2千万人以上いる。不可触はカーストにさえ入らない最下層被差別民である。彼らは強姦されても殺されても、その事実さえ表には出なかった。

 インドは1950年、憲法でカースト制を禁止したが、カースト制をなくすことはイコール、ヒンドゥー教をなくすことで、インド憲法がカースト制については有名無実であることは周知である。

 ところで、古代インドですでにヒンドゥー教化されてしまった仏教が、飛鳥奈良平安時代のわが国から見た仏教である。次回はそれが日本に伝わってからどのように振る舞ったか、その様子を見てみよう。

空海と真言密教(1)(徳川幕府のキリシタン弾圧)

2014-02-03 07:01:51 | 歴史
 徳川幕府が激しいキリシタン弾圧を行ったのは、キリスト教が万人の平等を説いているため、幕府による封建的身分制度の維持が危うくされる恐れがあったからだと教わった。

 それに対して、幕府は仏教をとがめないばかりか、むしろ保護していた。だが仏教も元来、平等無碍を説いており、人間は一切衆生(グループとしての人間)の一人に過ぎない。こうした平等感はキリスト教と同じである。仏教の開祖シッダールタは、国王の王子として生まれながら、カースト制度の苛烈さを見て、これではいけないと思い立ったと伝えられている。

 ではなぜ幕府は仏教を受け入れたのか?それは、仏教が日本に入ったそもそもの最初から仏教が変質しており、仏教それ自体が身分制度を内包していたからではないか?「如来」を最上位として、「菩薩」、「明王」と仏尊が階層化されていることからも、飛鳥時代の仏教にすでに身分制度の片鱗がうかがえる。

 飛鳥時代、わが国は古神道の時代で八百万の神が存在していた。「如来」、「菩薩」以下、それぞれの仏は、八百万の神が3、4人増えてもどうということはないというノリで、抵抗なく受け入れられたらしい。(仏教を輸入するのに反対論もあったのだが、議論が錯綜するので、それは置く。)権力者が仏教に積極的に帰依しようとしたのは、徳川時代と同じく、すでに仏教が権力者に都合のよい階級性をもっていたからである。

 だとしたら、仏教が日本に伝来したときには、シッダールタの発想の根源に反してすでに階級性をもっていたのは何故か?それを理解するためには、古代インドにおける仏教の変容にまでさかのぼらなければならない。

強迫症は未開民族にも存在するか?

2014-02-02 06:15:18 | 医療
 強迫症という心の病があって、鍵やガスの元栓が必要以上に気になってしまう。外出時に玄関の鍵を閉めたかが気になって、何度も確認しなければ気が済まない。一度出かけても本当に閉めたかが気になって戻って確認するため、なかなか外出できなくなる。ガスの元栓を締めて寝るのだが、気になって何度も起きて確認に行くので寝不足になる。こういう症状を確認強迫という。

 手を洗ってもまだ汚れているような感じがして、また手を洗う。それでもまだ完全に汚れや黴菌が取れていないような気がして何度も手を洗う。自分でもバカらしいと思いながら、手が真っ赤になるまで洗わないと気が済まない。これを洗浄強迫という。わが国ではノロウイルスやインフルエンザの流行もあり、むかしから手洗いがしつこく奨励されている。それが洗浄強迫を生み出しているのではないか?

 こうした病は未開民族にも存在するのだろうか?未開民族の住居はワラ造りの掘っ立て小屋で玄関に鍵なぞない。食事どきに手を洗う習慣もない。そもそも何度も洗うほどの水がない。そうなると、強迫症の出番はないはずだ。

 強迫症は防犯や清潔が重視される先進国に特有の病ではあるまいか?未開民族のフィールドワークを行ったことがある学者たちに聞いてみたい。未開民族に強迫症が存在しないなら、強迫症は文明病ということになる。

STAP細胞は再生医療には当分使えないだろう

2014-02-01 06:41:46 | 医療
 STAP細胞が本当に小保方晴子さんらの方法で作れると追試により証明されたら、ノーベル賞は堅い。追試による再現性の報告が待たれるが、ここではSTAP細胞が実在するという前提で考えてみたい。

 素人の知識を総動員して類推するに、STAP細胞は再生医療にはすぐには使えないだろう。(小保方さん自身が100年後に貢献したいと言っている。)その代わりに生体が維持される機構の解明が一層進むだろう。すでに分かっているアポトーシス(プログラムされた細胞の死)と同じく、このたびの初期化のメカニズムは生体内に元来存在している機能ではないだろうか?ES細胞やiPS細胞が自然界では起こりえない技法で作られたのに対し、STAP細胞は自然界で容易に起こりうる操作で作成されたからである。

 上に再生医療にはまだ使えないと言ったのは、「ヘイフリック限界」(高等動物の細胞が分裂できる回数の上限)をSTAP細胞は超えられないと思うからだ。STAP細胞は幼いマウスのリンパ球から作られたという。マウスのリンパ球は、リンパ球になるまでにすでに何回も分裂しているはずである。だから、STAP細胞は残された回数しか分裂できないのではないか?という問いが生じる。

 分裂回数に限界があるのは、DNA上に同じ塩基配列が繰り返されるテロメアという構造の長さが、細胞分裂が行われるたびに減っていくからだとされている。STAP細胞はテロメアの長さも元通りにリセットされているのだろうか?それらは、これからの研究に待たねばならない。

 少なくともクローン羊ドリーのテロメアは短かったそうである。だから、ドリーの寿命も普通の羊より短かったのだろうと推察されたこともあった。(クローン動物の寿命は概して短い。)後にクローン作成を繰り返すと実際にはテロメアが長くなることが観察された。そのため、高等動物の寿命とテロメアの長さの関係は分かっていない。

 このようにSPAT細胞については、これから研究されなくてはならないことが山ほどある。そのため、細胞生物学は急速に進歩するだろう。だからと言って再生医療がすぐにでも行われると思うのは早計である。これは、実はiPS細胞にも言えることだ。ただし、STAP細胞が作られるのは高等動物の体内で(in vivo)行われている自然現象である可能性がある分だけ、iPS細胞より優れている。

註:アポトーシスの発見者は2002年、ノーベル賞を受賞した。