えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

変えてみました。

2009年01月19日 | コラム
読みづらさを解消するため、
テンプレートをこっちに移してみました。

また昔(とはいえこれは先月書いたもの)のコラムです。

――『ファミリーポートレイト』 桜庭一樹
:狙わない出会い

 母の買い物に付き合いカートを押していたら『文芸春秋』の2009年1月号がぴんと目に付いた。何事もなかったかのようにかごへ放り込んでレジへ。読む。いた。桜庭一樹が。ヘアピンでまとめた前髪とボーダーの上着が変に高校生のようで、ちょっとしたハコフグみたいにぷっとふくれた笑みの口元は、眉といっしょに右側だけくっと上がっている。左目は野良犬並みに隙が無い。隣の川上未央子、次ページの井上荒野、楊逸の眼球と同じ光り方。静止画でもこちらを射抜く容赦のなさにぞうっとする。その視線とヘアピンが、桜庭一樹はずっと独身でいるのかな、と思わせる。

 母親マコと二人で育つコマコがおとなになって、ある形で母親と再会するまでを激しく描くこの作品、「あたしは黙って起き上がって、愛しいママを見つめる」と、「『おい、豚。』」の両極端の言葉を織り交ぜる手際はため息混じりに女性らしい、と言っていいだろう。ただ、強い言葉はどちらも読者を容赦なく叩く。強制的に文が心に押し込まれる、たとえばすれちがいざまに手当たりしだい物を押し込むようなやりかただと、結局投げつけられた物体のショックしか残らないのだ。話の運びでちゃんとさわやかに昇華させているから後味スッキリ?そりゃ無茶だ。
 
 だって、独身女性の激しい感情を517ページにつめた書き下ろし、そんな怨念、自分で昇華できるくらいなら桜庭一樹はものを書かないと思う。ぎりぎりそれを隠して読ませるのは、ひとえにこの話がファンタジーだからだ。登場人物の誰にも体温が無いから、誰が血を流そうが涙しようが怒鳴ろうが完璧なくらい読者は蚊帳の外でいられる。話が進むにつれてコマコが希薄になってゆくのは、周囲の大人のトーンとおとなになるコマコの、大人具合の書き分けが子供時代のストックと言葉以外で差別化されていないからだ。極端な言葉を平易に置き換えてゆくと何にも残らない。ある意味すっきりしてる、と言えば、そうなのだけど。(798文字)


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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リンクはらせて頂きました! (えりこ)
2009-01-21 02:41:26
こんばんは♪
リンクはらせて頂きました!
お互い、ブログでコラムやら絵やら書き続けようね♪
返信する
おおお (なめくじうさぎ)
2009-01-23 21:27:01
リンクありがとうございます!
今後ともよろしく~♪

ほんと、書き続けていきましょうね、お互い。
返信する

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