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【なるせ音楽教室】

昔話

2006-05-22 | 音楽子育て回想

 

女は、家庭で出来る仕事をもつべき。
そうすれば、家庭と仕事が両立できる。

それだけを母から教え込まれ、
ピアノの先生をすればと、
音楽のことは何もわからないのだけど、
お金は出してくれた母。

そもそも、ピアノを習い始めたきっかけは、
体が弱く、小学2年くらいまで外遊びが全く出来なかった。
生まれつきだから、外遊びが出来ないのも苦にならず、
親が買い与えた電気オルガンと人形が友達でした。
幼稚園の頃は、病院通い、入院検査で心室中隔欠損症と、
診断されたのは小学校1年生。

そんな私をみて、不憫に思ったのか、
たまたま幼稚園で一緒のご近所がピアノを買ったからなのか、
ご近所と同じピアノを、頼みをしないのに買ってくれました(笑)

相変わらず、遠足も、運動会も、プールなんてもってのほか。
ピアノしかすることがなかったのです。
3歳上の姉も習っていましたが、どうにも音あてが苦手らしく、
姉は5年生で先生の都合もあってやめました。
そのとき一緒に私も止めさせられたのですが、
なんとも手持ち無沙汰で、
自ら、次の先生を探して欲しいと親に頼みました。

それで、この子はピアノが好きなんだと、母は確信したのか、
冒頭の、
女は、家庭で出来る仕事をもつべき。
そうすれば、家庭と仕事が両立できる。
  を、念仏のように唱え続けました。

「念ずれば叶う」って言葉を聞きますが、
まさに母のためにあったような。

心臓の穴は、幸いにも小さかったのか、
成長とともにふさがり、4年生頃には普通のことが出来るように
なってきました。

中学校1年のとき 母は音大を意識して、
師事している先生に相談したところ、
それなら、他の先生に変わってくださいと言われ、
知り合いのそのまた知り合いの音大生から話を聞き、
受験には、コールユブンゲンや、聴音や、ピアノ以外に、
いろんな勉強がいると教えられて、
母子ともにびっくり。

ある先生の門を叩き、中学1年でツェルニ-30番じゃ遅いと、
追い返され、
別の先生に、大丈夫と救ってもらい、
そこから私も厳しさを感じたのか、
部活も週1回で済む、生け花部に所属、
生け花の日がレッスン日だったので、
さっさと、花を投げ込んで、華道の先生にあきれられながら、
早々に退出。

毎日3時間の練習で、30番をさっさと仕上げ、インベンションに、
悪戦苦闘し、ソナタ、ソナタと追われる日々。

幼稚園の時に買ってもらった、アップライトピアノは、その頃には、
整音、整調しても変な音になってしまいました。
母が調律師となにか話をしているなとおもったら、
ある日 突然グランドピアノが出現。

うれしいやらびっくりするやらの私に母は人一言。
「これから先、滑ってもころんでも 音大にいってね」

音楽は知らなくても、娘の職業には熱心でした。
いま思うと、母は洋服の仕立てをしながら自宅で洋裁教室をし、
はさみや、ミシン、アイロン等 仕事の道具は選び、大切に、
扱っていましたから、ピアノも私の道具として捉えて、
うまくレールを敷いてくれたのでしょうね。
今となれば口うるさい母に、感謝です。

カテゴリーは「子育て回想」です。
一代さかのぼっての回想録になりました。

順調に行くように思えましたが、
人生いろいろ。
ピアノなんて、弾きたくない、見たくもないと思った時期も。
高校時代に、そして大学を卒業して、二度ありました。
これはまた次の機会に。

庭にてんとう虫が遊びにきました。