大学を卒業しました。
当時卒業したら、
楽器メーカーのグレードを各自で取得して、楽器店の講師。
教職。
ホームレスナー。
永久就職(何人かいましたよ)
家事手伝い。
私は体調を崩して帰ってきたし、
ピアノは弾きたくないし、
わたしは当然、家事手伝い。
あてもなくフラフラ出来ませんので、
午前中は歯科医院のアシスタントに。(小遣いくらいかせがなきゃ)
午後は、母の洋裁教室で服を作っていました。
自分の服は自分で作る、それに買うお金も親からはもうもらえない。
母が看板屋に頼んで、小さな看板を門に掲げてくれました。
それですぐに生徒さんが集まるわけでもなく、
母が、婦人会で知り合った人の子供さんを、
無理やり、他で習っているにもかかわらず、
「娘が帰ってきたから 来て~」と一人引き抜いてきたのです。
ある意味、すごい母です。
半年がすぎ、気持ちも体調も戻り、
受験や、試験のためのピアノでなく、
自分のためのピアノを習いたいと思いました。
そこで予想外のきつい母の一言。
「4年も大学にやったのに、まだピアノをならわなあかんの?あほか。
なに習ってたんや」
今思えば、普通のサラリーマン家庭で音大で、外に出し、
学費、仕送りは大変だったと思います。
その思いが、その一言になったのでしょう。
まだ、お金使うのかってね。
母のもとにいれば私はずっと子供扱い。
しかし、母の望む結婚をし、
子供も生まれ、
同居ながらも、自分の主婦、母、レスナーとしての立場が確立できた頃、
改めてピアノを習うことはやめて、
声楽、ドラムス、ハモンドオルガン、ピアノはピアノでもジャズピアノを、
習い始めました。(反動ですね)
全部これからの私の仕事に役立つのだから好きにさせていただきます。
得意の開き直りです。
二人目が生まれてから、楽器店でのレッスンや、出張レッスンをやめて、
自宅のみでレッスンをしながら、少しずつ生徒さんも増えました。
これは、母が子供を見ていてくれたおかげです。
「女は家庭で両立できる仕事をもちなさい」と
言い続けてきた母ですから。
私はおかげさまで仕事を休んだのは、産後の1ヶ月間だけでした。
自宅教室は順調でしたが、
困ったことが一つ。
しょちゅう夢を見るのです。
あ~練習が出来ていない。暗譜が出来ていない、明日試験なのに~
大学をでて結婚し子供までいるのに、
まだ大学時代の夢を見るのです。
さすがに何回も夢を見ると、
夢の中のもう一人の私が、こんなのとっくに済んだことなのに と
つぶやくほどでしたが。
この夢を吹っ切ることが出来ました。
卒業後10年かかりましたが、それから以降全く見なくなりました。
その克服の仕方を(大げさですが) 次回に書きますね。