前回は中学校までの話でした。
いざ 高校受験。地元に私立の音楽科がありましたので、
深く考えずに、そこに行こうかと思いましたら、
ピアノの先生から、普通科の高校から音大に行きなさい、その方が、視野が広くなりますよ。
中学の担任の先生からも、私立の音楽科より公立の普通科を強く勧められ、
当時、少し頑張れば進学校に入れる成績でした。(学校としても行って欲しい)
学校から帰り、塾の宿題、学校の宿題、塾に行って、
夜の12時までピアノして、それからまた勉強。
担任から睡眠は5時間以下でよい なんていわれてまじめにやっていました。
今、思えば応用の利かない詰め込みの勉強。
通っていた塾も、今では考えられない巣スパルタ式で有名で、
出来なければ、叩かれていましたから。
ガンガンに詰め込まれて、やめたくても、やめたら、自分で勉強する自信がなくて
やめたいなんてとても親にも、周りにも言えませんでした。
ピアノもとりあえず、先に進むための機械的な練習。
バッハの面白さもわからずに、シンフォニアから、わけもわからずフランス組曲へ。
ツェルニ-40番もざっと済ませてやっと50番に。
それでも、ピアノは楽しかったです。
先生のお子さんが、同じ高校を目指していて、
勉強と、ピアノの両立に理解をしめして下さったから。
(その塾ですが、私の母は、私が行ったから当然、孫も行くものと・・、
娘たちを熟受験させましたが、長女は雰囲気に合わず、3日で辞めたいと言い出し、
塾の時間になっても風呂場に閉じこもって出てきません。
私は、 やめたくてもやめられなっかった私を思い出し、あっさり辞めさせました。
次女は中学三年生になると、私から見て、息切れ状態と感じたので、
学校の勉強だけで、行けるところに行けばいいと、自分のペースを取り戻させました。
私は無理をして高校に行き息切れしましたので、
娘たちには余裕でいける所に行ってほしかったのです。)
いわれるがまま 一生懸命がんばった中学時代でした。
私の母親は、やはり戦前に8人兄弟の5番目で苦労して、努力した人でした。
親がいうがまま、反論もせず、
反論したくても、親の言葉が正論と思えたので、意見を言うこともしませんでした。
娘には、やはり親の権力?を押し付けた部分もありましたが、
かならず、お母さんはこう思うのだけど、あなたはどう思う? と、
自分の意見が言えるように仕向けました。
長話になります。 次は高校生活です。