とりとめない話です。
日本は地域別の最低賃金を採用しています。これを全国一律にしようという動きがあります。東京は物価も地価も高いから、最低賃金は他自治体より高くなっています。ところが、実際には、これが抜け穴となり、最終的なしわ寄せは、現場で働く人たちにきています。
それでは、全国一律賃金は、働く人を救うでしょうか。
理屈は、東京並みの賃金を全国に、ということかも知れませんが、どう考えても、全国一律賃金にすれば、物価の高い都心部に暮らす人たちには、不利益が及びます。
最終的に、全国一律の物価にすればよい?
そこがゴールなのでしょうか。
日本という国をひとくくりにとらえ、日本をひとつの労働と消費のかたまりととらえれば、これほど効率的なことは無いでしょう。
グローバル資本は、そう考えているのかもしれません。
人物金の国と国の障壁を取り除いたら、日本の中まで均質になってきています。
元受けが下請けに発注するときに、単価が安くて東京に事務所を置けない業者が増えています。
大田区の建設工事、東京都の道路工事で、東京以外のナンバーの車を見ることも珍しくなくなりました。
仕事を受けた業者のものとで働く人が、東京の賃金をもらえるように、というのが全国一律賃金の流れかもしれません。
十分な単価で受け、下請けに発注する元受け、下請け、その下の、、、
働く人を守ることは大切ですが、この構図を、そのままに、対症療法=全国一律賃金の向こうに待っている、全国一律賃金、全国一律物価、、、、その背景にある、自然も文化も伝統も失われた無機質な社会を私たちは望むのか、、、
もうだいぶ、壊されていますね。
本当は、こういうことを国政政党は考えて取り組んでほしいです。
地方分権で、地方らしさと言いながら、規制緩和で最も地方らしい一次産業を投資の対象にし、自然から乖離した「工業」に変えてしまいました。
全国一律メニューの再開発は、自治体間競争をあおっていますが、結局同じ再開発のメニューですから、街並みも似通り無機質な風景に染まってきています。
みんなちがってみんないい、という金子みすずの詩は流行りましたが、補助金という金と資本主義経済というしくみは、一番違いの大きな、自然や風土の違いさえ許しません。
私たちが望む社会は、べつのところにあるのではないか、私たちに考える余地さえ持たせず、規制緩和が進むことが恐ろしいです。
女であること、男であること、さえ、女らしさ、男らしさという風にとらえ、許されない、というのもおかしな話だと思います。