今年5月の日本コンサートを来日しながらそのまま入院し、病気のためにキャンセルして英国に帰ったポール・マッカートニーさんが元気なのか気になっていた。帰国後、米国ツアーを行ったが報道を見ると元気いっぱいという感じでもなかった。
そこに最近になって英大衆紙のインタビュー記事が紹介されて、ポールは「来年また日本に行くよ」(報道)という発言が載っていた。
昨年10,11月の東京、大阪、福岡コンサートのあと、半年後の間を置かずに再来日でスタジアム・コンサート開催決定(病気中止)で驚かされたものだ。
ポールをそれほどまでに日本コンサートに駆り立てたものは何だったのか考えてみた。1966年に最初で最後となるビートルズ来日コンサートは、ビートルズは当時すでにコンサート収益(guarantee)には興味はないと言われて来日コンサートは手ごろなチケット料金が設定されたと言われた。
今年5月予定されたポール・マッカートニーさんの来日スタジアム・コンサートは、チケット料金2万円弱の高額なものでビートルズの時とは様変わりしていた。
半年の間の2度の来日コンサートに興味を示したのは高額なコンサート収益のせいなのか。高額なチケット料金はミュージシャンの価値に対するオーディエンスの投資目標でもあるから、ビートルズ、ポール・マッカートニーサウンドはそれが成り立つ関係でもある。
音響効果がいいとはいえない1万人以上収容のアリーナまた5万人以上収容のスタジアムでのコンサートというのは、出来るだけ聴きたいという広く多くのオーディエンスの要望に応える商業主義であるが、それでも手ごろな料金ではなく高額チケット料金を設定するのは「それでも」何としても聴いてみたいという生粋(きっすい)のオーディエンス層を選択する効果もある。
しかしやはり商業主義の印象はぬぐえず、ビートルズを一番愛した男としてのポールには商業主義とは無縁のはずの似つかわしくもない印象と驚きはある。
ビートルズ時代から日本だけで特にヒットした楽曲を持つほど世界でもビートルズ音楽、文化を愛した、支持した、取り入れた日本(の当時若者)だから、ポールにはその日本にリスペクト(respect)はあるのではないのか。
それが半年で2回もの来日コンサートにあらわれて、そのうち病気中止にした今年5月のコンサートの再チャレンジへの「来年また日本に行くよ」発言による意欲と関心のあらわれではないのか。
ポールはビートルズの存続にひとり強い愛着と希望を持っていたといわれて、「責任感」も強い印象はある。
昨年10,11月の来日コンサートの社会的関心、盛況に応えて今年5月のスタジアム・コンサート開催を予定したり、それが病気中止になると「来年また日本に行くよ」(I hope to go to japan, soon again)発言によくあらわれて感じられる。
一昨日、甲府市で開催された財津和夫さんの「チューリップの愛を歌う」コンサートに行ってきた。オーケストラ・ステージの広いホールでのコンサートで音響もよく、バンドもチューリップほど洗練されてはいないが適度に「ザラ」ついたプリミティブ(primitive)な音で、チューリップ・サウンドをよく表現していて、歌うのは本元の財津和夫さん、姫野達也さんなので「チューリップがそこにいる」ような印象的なコンサートになった。
そこに最近になって英大衆紙のインタビュー記事が紹介されて、ポールは「来年また日本に行くよ」(報道)という発言が載っていた。
昨年10,11月の東京、大阪、福岡コンサートのあと、半年後の間を置かずに再来日でスタジアム・コンサート開催決定(病気中止)で驚かされたものだ。
ポールをそれほどまでに日本コンサートに駆り立てたものは何だったのか考えてみた。1966年に最初で最後となるビートルズ来日コンサートは、ビートルズは当時すでにコンサート収益(guarantee)には興味はないと言われて来日コンサートは手ごろなチケット料金が設定されたと言われた。
今年5月予定されたポール・マッカートニーさんの来日スタジアム・コンサートは、チケット料金2万円弱の高額なものでビートルズの時とは様変わりしていた。
半年の間の2度の来日コンサートに興味を示したのは高額なコンサート収益のせいなのか。高額なチケット料金はミュージシャンの価値に対するオーディエンスの投資目標でもあるから、ビートルズ、ポール・マッカートニーサウンドはそれが成り立つ関係でもある。
音響効果がいいとはいえない1万人以上収容のアリーナまた5万人以上収容のスタジアムでのコンサートというのは、出来るだけ聴きたいという広く多くのオーディエンスの要望に応える商業主義であるが、それでも手ごろな料金ではなく高額チケット料金を設定するのは「それでも」何としても聴いてみたいという生粋(きっすい)のオーディエンス層を選択する効果もある。
しかしやはり商業主義の印象はぬぐえず、ビートルズを一番愛した男としてのポールには商業主義とは無縁のはずの似つかわしくもない印象と驚きはある。
ビートルズ時代から日本だけで特にヒットした楽曲を持つほど世界でもビートルズ音楽、文化を愛した、支持した、取り入れた日本(の当時若者)だから、ポールにはその日本にリスペクト(respect)はあるのではないのか。
それが半年で2回もの来日コンサートにあらわれて、そのうち病気中止にした今年5月のコンサートの再チャレンジへの「来年また日本に行くよ」発言による意欲と関心のあらわれではないのか。
ポールはビートルズの存続にひとり強い愛着と希望を持っていたといわれて、「責任感」も強い印象はある。
昨年10,11月の来日コンサートの社会的関心、盛況に応えて今年5月のスタジアム・コンサート開催を予定したり、それが病気中止になると「来年また日本に行くよ」(I hope to go to japan, soon again)発言によくあらわれて感じられる。
一昨日、甲府市で開催された財津和夫さんの「チューリップの愛を歌う」コンサートに行ってきた。オーケストラ・ステージの広いホールでのコンサートで音響もよく、バンドもチューリップほど洗練されてはいないが適度に「ザラ」ついたプリミティブ(primitive)な音で、チューリップ・サウンドをよく表現していて、歌うのは本元の財津和夫さん、姫野達也さんなので「チューリップがそこにいる」ような印象的なコンサートになった。