いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

平和は手が届かない。 we are beyond our reach to peace

2014-12-12 19:51:25 | 日記
 (1)もちろん「ひとり」の人間の命ほど尊いものはない。それならなぜに国際社会は1日に数十人、数百人も犠牲になる「戦争」などするのか、政治のトリック(trick)にだまされてはいけないし、考えさせられる。
 イスラエルとパレスチナの遺恨の戦争は少年ひとりの死を巡って停戦もどきが簡単に破られて互いに空爆、砲撃をくり返して、多くの犠牲者を出す理不尽(unreasonableness)さだ。

 (2)イスラエル入植地のパレスチナ自治区でデモ活動中のパレスチナ自治政府の高官がイスラエル警官ともみあってその後に急死した事件で、パレスチナ側は警官の「暴行死だ」(報道)とイスラエル側を非難し、イスラエル側は「死因は心臓発作」(同)だとして対立している。
 その背景にはこれまで空爆、砲撃で双方に「多数」の犠牲者を出しながらの「ひとり」の死への非難の応酬とあって、何ともひとりの人間として情けない感情に襲われてしまう。

 (3)「ひとり」の人間の死をそれほどに問題にするなら、なぜ一度に多数の犠牲者を出す戦闘行為を止めることが出来ないのか、まったく理不尽な国家犯罪行為だ。
 もちろんこれを止めることもできずに、逆に支持するものもいる国際社会、双方の支持国の責任、理不尽も問われ、責められるものだ。

 戦争状態にあるものは「ひとり」の人間の命など重要ではないというはずの、それでいて「ひとり」の人間の命を駆け引きに使う何ともパラドックス(paradox)なおそろしい感情もある。
 それが同在しているところに人間社会、国際社会の価値観の矛盾がある。

 (4)米国で2001年のイスラム過激派組織アルカイダによる同時多発テロ後にCIAの海外秘密拠点で拘束したテロ容疑者の取り調べで、非人道的な過酷な尋問、拷問が行われていた実態の報告書が米政府自らにより公表された。

 オバマ大統領の決断で公表に踏み切ったといわれる。オバマ大統領は何かと問題のあったキューバにある米軍施設にあったテロ容疑者の収容施設を撤廃して、過酷なテロ容疑者の取り調べに反対してきた立場から公表に踏み切ったとみられる。

 (5)米国ほか国際社会がネットを通して米国人捕虜を殺害する映像を公開した「イスラム国」をこれまでにない人間に対する悪らつ非道な挑戦行為として強く糾弾していながら、これでは米国も同じ非難のそしりは免れないものだったことが判明した。
 国際テロ組織に反転口実を与えて、勢いづかせる同じ穴のムジナではないか。

 人を殺りくする戦争に「聖戦(sacred war)」などなく、戦争が続く限り非人道的な行為は止められずに当事国に正当化されていくだけだ。
 その都合主義、正当化主義が戦争名目の中で「ひとり」の死へのこだわりにあらわれる。パラドックスとしてその背景にある多数の非戦闘員、子どもの犠牲者とのおそろしい落差感情だ。

 (6)こういうものが同在する矛盾社会とはどういうものなのか。自分の行為を顧みずに正当化して、これに敵対する行為をすべて排除する利己主義、野望主義で、しかも国家指導者の多くはメッセージではこういった考え、立場を否定してみせるから理不尽はなくならない。

 国、地域同士がその理不尽双方を実行、実証してみせているのだから、まったく始末に悪いことになる。
 多数の戦争犠牲者を背景に「ひとり」の死で対立する理不尽をみせつけられて、平和というのは手が届かない。(we are beyond our reach to peace)

 

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