いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

報道主体性。 news subjectivity

2015-12-04 19:47:20 | 日記
 (1)NHKクローズアップ現代のやらせ疑惑問題でNHKに対して政府からの行政指導があったことを報道の圧力として批判したBPOの意見書に対して、NHK籾井会長が「圧力と捉えるのは考えすぎだ」と否定した。

 何かと政府寄り、政府におもねる発言から国会でも追及を受けて、報道の自由を守るジャーナリズム(journalism)の経営主体経営者としてはどうかと思われていたが、まだNHK会長を続けていた。
 本人が「圧力」と捉えるのは考えすぎだといっても政府、所掌する総務相が国会答弁で、職務上行政指導するのは当たり前だと正当性を主張しているのだから、的外れの認識、発言だ。

 (2)国民の知る権利に応えるために自主的で公平で公正な報道姿勢が求められるメディア、ジャーナリズムで、政治的な発言にあえて踏み込んで、政府の考え、方針がそうなのだから仕方ない迎合姿勢を示してみせるなどとは、NHKの報道姿勢、報道の中立性、報道内容、品質、制作への信頼性、信用性を損なうばかりだ。

 冒頭の会見では「自民であろうが野党であろうが~『この番組はどうだ』と(内容について)言われても、我々は『聞けません』という話だ」(報道)と述べているが、改心したのか、認識の相違なのか(政府の行政指導で)「圧力と捉えていない」とか、「政府の考えだから仕方ない」発言からはすぐにはそうですかと聞けない発言内容だった。

 (3)近年のメディアの批評力(critical power)、批判力の後退が目立ち、報道番組でもひととおりの情報紹介で番組趣旨の結論が見えないものが多い。情報提供に終始して視聴者に勝手に判断してもらう趣旨なのか、それではニュース番組とは違う報道番組の意味、意義はない。

 結論の見えない報道番組の情報提供、開示ほどつまらない、モヤモヤがうっ積するものはないのだ。

 (4)先日も民放報道番組のアンカーマンが番組内で安倍政権の安保法制強行成立に対して、廃案に向けてメディアも声を上げなければならないと発言したことを捉えて放送法の重大な違反行為だと一部勢力が意見広告を出したことが話題になったが、安倍首相の従来からのメディア、マスコミ批判による報道への政治介入の傾向による報道の自由精神性を阻害する風潮台頭の危険性がある。

 アンカーマン発言への放送法の重大違反意見広告などは、手法からも戦前の言論抑圧統制時代を連想させる危険な風潮と捉えている。

 (5)時代錯誤もはなはだしいと考えるが、安倍政権が特定秘密保護法から安保法制整備へと強権野望政治を突っ走っており、政治そのものも時代錯誤思考に回帰している懸念はある。

 都合よく憲法解釈の変更を持ち出して日本の国防、防衛思想を変更、拡大解釈するかと思えば、報道コントロールの政治介入では放送法を盾に指導介入の正当性を主張するという都合主義は、政治、社会のパラダイム(paradigm)を損ねている風潮の誘因でもあると考える。

 (6)安倍首相が法律論を持ち出して正当性を主張しても、信用性がないのはその政治手法が都合主義だからだ。
 NHK籾井会長が政府の報道圧力をいくら「聞けません」と言われても、これまでの主体性のない政府におもねる発言からはまったく信用性などない。

 報道主体責任者として「主体性(subjectivity)」のなさは致命的に欠陥資質である。

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