(1)ボブ・ディランが今日の大阪フェスティバルホールに東京ドームシティホール公演を含めて主要都市でコンサートを開催している。「blowin' in the wind」(風に吹かれて)に代表される60年代米国を代表するミュージシャンで、特に詩文(words and lyrics)が文学的表現に高く示唆に富んでいるのが特徴で、ノーベル文学賞の呼び声も聞かれたことがある。
アコースティックギターから近年はエレクトリックギターに持ち替えて音楽的変遷もみせてきたが、そのスタイルの変化には賛否両論が見られたが最近はドスの利いたダミ声にも凄味が出て、それとわかるディラン調が特徴でもある。
(2)「blowin' in the wind」が、どれだけ砲弾が飛べば、どれだけ人が亡くなればすむのかー戦争が終わり、平和がくるのかー答えは風にただよっていると米国が主導したベトナム戦争を痛烈に批判する反戦歌で反権力思想主義の象徴ともいえるボブ・ディランだ。
そのボブ・ディランが本格的な日本公演を開催しているが、チケット料金は最高が2万5千円で最低でも1万3千円という高額チケットの大ホール公演と聞いて少々驚いている。
(3)伝説のカリスマ(charisma)ボブ・ディランも高年令になっていまだ現役で音楽活動を続けているのは大変喜ばしいことで、日本で彼のコンサートを聞けるのはひょっとしたらこれが最後になるかもしれないので、できるだけ多くの人にコンサートに足を運んで聞いてほしい機会を与えようと考えるのはよくわかる。
そうとはいっても大勢のオーディエンスを収容できる大ホールコンサート開催で、最高2万5千円というチケット料金は利益優先の商業主義そのものだ。ギター1本で反戦、反権力思想を歌ってきたボブ・ディランとしては、高額ギャラ、チケット料金は彼が嫌ってきたのではないのかと思える社会迎合主義的で似つかわしくはないものだ。
(4)彼も高年令になって当然にこれからの音楽活動にも限りがある中で、将来生活設計を考えてその名声、音楽性でどう儲けようととやかく言われる筋はないが、音楽家としてのイメージはそれぞれの人々の脳裏に心に「別に」存在する。
せめて反権力、反資本思想のボブ・ディランにはそのイメージを大事にしてほしかった。
(5)ビートルズが66年に最初で最後の日本公演を開催した時には、まだ若かったこともありすでに成功して収益には関心もなく当時としては常識的な比較割安チケット料金設定だったといわれて、これを聞けば誰もがビートルズの名声を歴史的にさらに高めたと思えるものであった。
そのビートルズのポール・マッカートニーも70才を超えて近年日本公演を何度か開催しているが、チケット料金は最高2万円台で高額なのにやはり驚かされた。
(6)チケット料金は一般的には一定の社会通念の概念の中で需要と供給のバランスで決められるもので、いくら高額でもそれを見たい、聞きたい人が多ければ成り立つ概念でもある。
コンサート事業は長引くデフレ不況の時代でもひとり10%程度の成長産業といわれて、チケット料金も3千円時代から7千円、1万円時代と一気に駆け上がった背景がある。
(7)需要と供給のバランスのチケット料金2万円台の高額コンサートだが、ボブ・ディランにはぜひそのカリスマ性、音楽性でオーディエンスの費用対効果を満足(satisfaction)させてほしいものだ。
アコースティックギターから近年はエレクトリックギターに持ち替えて音楽的変遷もみせてきたが、そのスタイルの変化には賛否両論が見られたが最近はドスの利いたダミ声にも凄味が出て、それとわかるディラン調が特徴でもある。
(2)「blowin' in the wind」が、どれだけ砲弾が飛べば、どれだけ人が亡くなればすむのかー戦争が終わり、平和がくるのかー答えは風にただよっていると米国が主導したベトナム戦争を痛烈に批判する反戦歌で反権力思想主義の象徴ともいえるボブ・ディランだ。
そのボブ・ディランが本格的な日本公演を開催しているが、チケット料金は最高が2万5千円で最低でも1万3千円という高額チケットの大ホール公演と聞いて少々驚いている。
(3)伝説のカリスマ(charisma)ボブ・ディランも高年令になっていまだ現役で音楽活動を続けているのは大変喜ばしいことで、日本で彼のコンサートを聞けるのはひょっとしたらこれが最後になるかもしれないので、できるだけ多くの人にコンサートに足を運んで聞いてほしい機会を与えようと考えるのはよくわかる。
そうとはいっても大勢のオーディエンスを収容できる大ホールコンサート開催で、最高2万5千円というチケット料金は利益優先の商業主義そのものだ。ギター1本で反戦、反権力思想を歌ってきたボブ・ディランとしては、高額ギャラ、チケット料金は彼が嫌ってきたのではないのかと思える社会迎合主義的で似つかわしくはないものだ。
(4)彼も高年令になって当然にこれからの音楽活動にも限りがある中で、将来生活設計を考えてその名声、音楽性でどう儲けようととやかく言われる筋はないが、音楽家としてのイメージはそれぞれの人々の脳裏に心に「別に」存在する。
せめて反権力、反資本思想のボブ・ディランにはそのイメージを大事にしてほしかった。
(5)ビートルズが66年に最初で最後の日本公演を開催した時には、まだ若かったこともありすでに成功して収益には関心もなく当時としては常識的な比較割安チケット料金設定だったといわれて、これを聞けば誰もがビートルズの名声を歴史的にさらに高めたと思えるものであった。
そのビートルズのポール・マッカートニーも70才を超えて近年日本公演を何度か開催しているが、チケット料金は最高2万円台で高額なのにやはり驚かされた。
(6)チケット料金は一般的には一定の社会通念の概念の中で需要と供給のバランスで決められるもので、いくら高額でもそれを見たい、聞きたい人が多ければ成り立つ概念でもある。
コンサート事業は長引くデフレ不況の時代でもひとり10%程度の成長産業といわれて、チケット料金も3千円時代から7千円、1万円時代と一気に駆け上がった背景がある。
(7)需要と供給のバランスのチケット料金2万円台の高額コンサートだが、ボブ・ディランにはぜひそのカリスマ性、音楽性でオーディエンスの費用対効果を満足(satisfaction)させてほしいものだ。