いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

パーソナル・ディスタンス。 personal distance

2020-09-28 20:05:36 | 日記
 (1)人間関係の距離(distance)というのは微妙なものだが、ぴったり寄り添えば信頼、愛情、安心の証しであり、距離を置けば警戒、不信、拒否の意思表示でありはっきりしている。
 コロナ感染社会では感染予防、防止、阻止のためにソーシャル・ディスタンス(social distance)が必要とされて、社会における人間関係、情報、誤報(デマ)、生活の警戒、不信、拒否までも政策として実行されるというへい害社会でもある。

 (2)マスク社会がエチケット、社会ルールとして励行される中で、人間関係としてのソーシャル・ディスタンスが政策として実行される必要のあるものか、世界的なコロナ感染流行拡大(pandemic)の中でやれることは何でもやろうという脅威、警戒、社会不信からのものでやむを得ないところはあるが、ソーシャル・ディスタンスなどではなくコロナ感染を及ぼさないための自意識、自己防衛、自覚、目的としてのルール、エチケットのパーソナル・ディスタンス(personal distance)でよかった。

 (3)ソーシャル・ディスタンスにこだわって変に目つきが変わったり、不信、警戒する行動は社会での人間関係、情報、デマ、生活の不信、阻害感を生んでますます生きづらくするばかりだ。マスク常用着用エチケット社会のように個人ひとりひとりが個人の意識、責任、注意、用意で感染を予防する信頼関係の構築、醸成でよかった。

 (4)人間関係のソーシャル・ディスタンス(社会的距離)といっても日常の電車の中では実行は不可能で矛盾を抱えた現実社会の中で人間の自立、存在、安心のパーソナル・ディスタンス(人間的距離)に頼るしかなく、そうした現実社会の中で日本のコロナ感染者、死亡者が比較世界に比べて少ない効果といわれている。

 (5)コロナ感染流行拡大は阻止したいは、社会経済活動は起動、機能したいはのシンクロナイズを進めたい政府の思惑に対して、国が国民に何をするかではなく、国民が国に何が出来るのかを問う国民主義、民主主義のパーソナル・ディスタンスの意義だ。

 

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