(1)最近は「名は体」を現わさない(the party whose name doesn't appear)ので政党名はレッテル(letter-label)のようなものでどうでもいいようなものだが、揉めた立憲民主党と国民民主党の野党の合流新党の新党名も代表選にあわせて投票で決められる。
こちらの方は所属議員の数で主流を占める立憲民主党が「同名」を国民民主党からの合流組は「民主党」を掲げている。
(2)立憲は枝野代表がひとりで立ち上げた政党名であり、当時安倍首相が独自の憲法解釈により集団的自衛権の行使を容認する安保法制を強行採決した時期であり、憲法9条を擁立する平和憲法を守る立場から立憲民主主義の理念に基づく政党として掲げたものだ。
当時は小池都知事が代表を務める希望の党と民主党から改名した民進党との合流話で、小池代表の排除の論理で革新的な枝野議員ら一部幹部が除外されて、これに反発した枝野代表がひとり立憲を立ち上げこの精神性が国民の支持を集めて直後の選挙で躍進しいきなり野党第1党となり10%台の国民支持率をあげていた。
(3)立憲はその後国会運営、野党結集に消極的で成果を上げれない政治姿勢に国民支持は低迷して5%前後にとどまって、最近では新型コロナ対策で露出の多い吉村大阪知事の日本維新の会(10%台キープ)に取って代わられる事態だった。
国民民主党はせいぜい1%程度の国民支持で存在感を失っていた。
(4)両党とも最近の危機感を背景にした合流話であったが、基本政策(消費税、改憲)で考え、立場の違いが大きく政党名もそれぞれの立場、主義を主張して歩み寄りが見られない。結局は合流新党と独自の新党に分かれての結党となった。
合流新党は149名の「大きな塊」とはなったが、独自の新党も当初の予想より増えて20名超(のちに無所属選択した議員もいる)の結集をみせた。
(5)今や政党は「名は体」を現わさないので、国民の関心も低く、立憲も国民も合流新党名でそれぞれの立場、主張を譲らずに合流が難航したのは国民からの疎外感、失望感をより強くして興味、関心を低くした。
国民が大きな期待を寄せた本格的政権交代の09年民主党政権は政策の自滅崩壊をして、これがトラウマとなって国民には政策の決定力、実行力、責任力を求める志向が強く、新党名決定だけで歩み寄れない、決めれない政治、合流新党には関心、興味が低いのは当然のことだった。
こちらの方は所属議員の数で主流を占める立憲民主党が「同名」を国民民主党からの合流組は「民主党」を掲げている。
(2)立憲は枝野代表がひとりで立ち上げた政党名であり、当時安倍首相が独自の憲法解釈により集団的自衛権の行使を容認する安保法制を強行採決した時期であり、憲法9条を擁立する平和憲法を守る立場から立憲民主主義の理念に基づく政党として掲げたものだ。
当時は小池都知事が代表を務める希望の党と民主党から改名した民進党との合流話で、小池代表の排除の論理で革新的な枝野議員ら一部幹部が除外されて、これに反発した枝野代表がひとり立憲を立ち上げこの精神性が国民の支持を集めて直後の選挙で躍進しいきなり野党第1党となり10%台の国民支持率をあげていた。
(3)立憲はその後国会運営、野党結集に消極的で成果を上げれない政治姿勢に国民支持は低迷して5%前後にとどまって、最近では新型コロナ対策で露出の多い吉村大阪知事の日本維新の会(10%台キープ)に取って代わられる事態だった。
国民民主党はせいぜい1%程度の国民支持で存在感を失っていた。
(4)両党とも最近の危機感を背景にした合流話であったが、基本政策(消費税、改憲)で考え、立場の違いが大きく政党名もそれぞれの立場、主義を主張して歩み寄りが見られない。結局は合流新党と独自の新党に分かれての結党となった。
合流新党は149名の「大きな塊」とはなったが、独自の新党も当初の予想より増えて20名超(のちに無所属選択した議員もいる)の結集をみせた。
(5)今や政党は「名は体」を現わさないので、国民の関心も低く、立憲も国民も合流新党名でそれぞれの立場、主張を譲らずに合流が難航したのは国民からの疎外感、失望感をより強くして興味、関心を低くした。
国民が大きな期待を寄せた本格的政権交代の09年民主党政権は政策の自滅崩壊をして、これがトラウマとなって国民には政策の決定力、実行力、責任力を求める志向が強く、新党名決定だけで歩み寄れない、決めれない政治、合流新党には関心、興味が低いのは当然のことだった。