いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

自由、公開のレトリック。 rhetoric of freedom , public

2025-01-24 20:43:58 | 日記
 (1)石破首相は昨年末の臨時国会で裏金問題に発した政治とカネ問題で野党から企業・団体献金の禁止を迫られて憲法第21条の「表現の自由」に抵触すると発言したが、そこまでレトリック(rhetoric)に突き詰めなくても企業活動の自由とでも言っておけばいいようなものだが、憲法ではとにかく「自由」が保障されている。

 (2)思想、信条、教育、信仰、結社、報道などなどありとあらるゆるものといっていいほど自由が保障されている民主主義、自由主義国家だ。国家、社会、国民は権利とともに義務も負う。
 企業・団体献金はこれまでも企業と政治、政府のゆ着構造を生み、政治、政策の腐敗につながってきた。石破首相は義務として禁止ではなく「公開」を主張しているが、それで問題はなくならない。

 (3)安倍元首相はアベノミクスで大企業が成長すればその利益が中小企業、地方、国民生活にしたたり落ちる(trickle down)経済論を展開して、政府は大規模金融緩和策を10年続け円安株高効果で輸出産業中心に利益を上げて、企業の内部留保は数百兆円ともいわれて過去最高を更新しているが大規模物価高は続き、国民生活は負担が大きく還元されることはない。

 (4)アベノミクスが満たしたものは大企業、富裕層であり、中小企業、地方、国民には及ばなかった。企業・団体とのゆ着構造のへい害の方が大きかった。何か「自由」を主張すれば正当化される民主主義、自由主義の風潮はあり、トランプ大統領が米国社会で支持されているとすれば、それに反して不合理、痛みはあっても物事、考えをはっきりと示して実行するところだろう。

 (5)フジテレビが中居問題を早くからは握していながらタレントの問題としてあえて触れずにきて、スポンサーなどステークホルダー周囲からの指摘、批判が大きくなってようやく同社長が記者会見に応じた。
 メディアが持っている情報を「公開」しないというのはメディア報道企業として致命的な欠かんであり、しかもようやくの遅れた記者会見が一部メディアに限定して「公開」制限したことは責任放棄(neglect)でしかない。

 (6)現在のメディアの劣化、低下は番組作りをみれば明らかであり、メディアにあるまじき責任放棄体質につながっている。彼らもまたそれを「表現の自由」、「報道の自由」と言うのだろうか。
 情報化時代にメディア、情報、報道企業が責任、「義務」を果せずに浮足立って、社会がパラダイム(paradigm)、パラダイスを見失っている。

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