いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

きょうは酒の話。 it's tale of ‘sake' , today

2025-01-01 20:57:23 | 日記
 (1)何十年前になるが新年に佐賀県有田市を訪れ、街並みの中の青年陶芸家庄村健さんの工房で白磁の色合いが印象的なこぶりのコーヒーカップに出会い購入した。庄村健さんはまだ小さなお子さんの世話をしていたのか一緒にあらわれて、器を手に中に消えた。
 なかなか戻って来ずに時間が過ぎた後、自ら揮ごうした少し大きめの木箱を持ってあらわれて、適当な木箱を探していたようだ。その後の庄村健さんは窯元の晩香を名乗り名古屋などで個展を開く大家になった。有田の当時青年陶芸家の律義さがまぶしい光の記憶だ。

 (2)きょうは酒。正月で酒の話でも書こう。ちょこ(猪口)に並々一杯ついで飲んでいくと最後に一杯ついで終わる量にとっくり(徳利)の大きさが決まっている、に違いないと思わずそう考える。やはり最後はちょこが並々一杯になって飲んだなとぶっとび宇宙観にひたり終わるのが酒文化の美学だ。

 (3)日本の陶芸家、匠はそれぐらい遊び心があって、気が利いていて、律儀でエスプリ(esprit)が効いていると思う。ごはん茶碗がどんぶりでは困る。目盛もなく科学に抵抗して手の感触で徳利の大きさ、量が決まるというちょこと徳利の宇宙量子学的(いちばんちいさな単位)なつくりであってこそのアインシュタインも驚く酒文化の技術、美学、芸術、宇宙観だ。
 日本の陶芸家の技術、芸術、構造美学、宇宙観にはすばらしい唯一論がある。

 (4)だから木箱にこだわって揮ごうして出自を未来にわたって証明するのだ。日本の伝統的酒造り文化、技術が世界で類のない麹(こうじ)を発酵させる技術としてユネスコ無形文化遺産に登録されることになった。
 諸説はあるが飲み過ぎなければ、悪習慣にならなければ酒が健康にもいいという説はあるが、医学的には酒の量にかかわらずにどうもあやしい説ともいわれて酒文化をほめたたえるレトリック(rhetrick)にすぎないのかもしれない。

 (5)冒頭、酒の基準を猪口と徳利で書いたが立ち飲み居酒屋ではコップ酒というのもあり、こちらは実利を兼ねて和洋折衷型だ。楽しみ方は自由で多様で奥の深いものだが、グローバル化の時代では日本の酒の味は海外でも評価されて愛好者が増えている。
 猪口と徳利の宇宙量子学的な酒文化、基準、技術、芸術、美学が世界に幸せをもたらしている。

 

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