いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

3D化。映画と検察。 3 dimension , cinema and prosecution

2010-09-24 19:52:57 | 日記
 (1)実はあまりビデオレンタル店には行ったことがない。出始めのころ行った店の雰囲気、
その空気がどうにもマッチしなくって、新作、著作権保護の期間の問題もあってほとんどが
生気のない過去形、期限切れ商品にしか映らなかった記憶がある。

 その後、時代はケイタイ、インターネット普及社会で、音楽や映像ソフトをその場でダウン
ロードして利用できるクオリティ(quality)社会に変化して、ビデオ、CDレンタル業界は、見
かけなくなった。米国からも最大のビデオレンタルチェーン店の経営破たんのニュースが届
いた。

 映画映像はようやく3D(dimension)の多次元空間の世界に活路を見出して、テレビ同様、
次世代型へと変化を見せはじめている。
 映画も、人間、生活、人生の歴史の一部を切り取って、そのヒトコマを象徴的に拡大映像
表現する演出、シナリオが描ききれなくなって、久しい。
 テレビの出現で、映像文化の主役が映画からテレビに移行して、映画は結局テレビ文化
的なスピードと変化と即時性に追随して衰退していく。

 ただし、スピードと変化の経験、試行錯誤が映画映像に「3D」化をいち早く持ち込んだ。

 (2)映画は、テレビ文化と違って多様な選択性に欠けるので、「3D」化が映画本来の深い
文学(描写)性、心理(描写)性、美学(描写)性という「見ごたえ」を取り戻すことにはならな
いのではないか。

 製作現場から歴史のヒトコマを象徴的に拡大映像表現できる能力の映画監督(director)
とシナリオライター(scenario writer)の登場が待たれる。
 世界的な経済不況が長引く安定不況の時代の中、映画製作への財政支援もむづかしく、
時代は映画文化には悲観的だ。

 「よき」時代の映画文化を牽引してきた米国(ハリウッド)、フランス、イタリア、英国と、こと
ごとく経済、財政建て直し最優先で、特に政治、経済、平和の共同体構想を推進中のEU
(欧州連合)から貴重な「文化観」の発信が消えたのは物足りない。かってはと言ってもいけ
ないが、イタリア、フランス発の名画は多かった。

 「3D」化は、多様な選択性を持つテレビ文化(現在閉そく観の真っただ中)のものだ。

 (3)郵便料金不正利用事件で逮捕検事の当時の上司だった検事が、監督責任は認めた上
で「(検事の)逮捕はやりすぎ」と主張している。監督責任を緩和しようという自己防衛論だ。
現在、事情聴取中だ。

 一度、じっくりとその主張を聞いてみたいものだ。法制度上とか法手続き上、判例事例の
観点から、独自の論点でも持っているのか、正義、公正、公平な頂点組織のひとつの検察
からの、身内に甘い見解には、パラドックス(paradox)として今はとても「理解できる」発言だ。

 検察も、営利中心で手段を選ばない民間企業と同じ負の遺産を抱えていた。検察の立場
から言えば、「疑わしきは関与せず」ではなく「疑わしきは他に率先して解明する」その中の
疑惑検事の逮捕だ。検察内部の「3D」化が必要だ。

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