いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

豊洲問題の住民投票。 the inhabitant's vote of toyosu market affairs

2017-03-26 19:30:53 | 日記
 (1)豊洲市場移転問題は現在の築地市場地下からも基準を上回る環境汚染物質が検出されて、これに小池都知事は地上はコンクリートで覆われているので危険ではない趣旨発言をして、それでは豊洲市場問題も同じではないのかの指摘もある。

 これにはこれまでのように総合的判断をするとだけ述べてはっきりしない、はっきりさせないのは、豊洲問題を夏の都議選争点のメインテーマにして自らの地域政党「都民ファーストの会」の候補者の大量当選、影響拡大を狙っているからに他ならない。

 (2)豊洲市場は昨年に開設の予定が、当初の地下盛り土工事計画が一部都庁職員の判断で見送られて安全性が疑われて、その後同地下水から環境基準を大幅に上回る有害物質が検出されて、小池都知事が豊洲移転を白紙に戻していた。

 この問題を小池都知事は豊洲移転を推進した都議会、石原元都知事との政争責任問題にして、移転判断を先延ばしにしてきた。

 (3)すでに豊洲市場建物は完成して移転開設を待つばかりのところ、小池都知事が一連の問題発覚、さらに地下水再検査の必要性により安全性を問題にして移転判断を先延ばしにしているため、未使用のまま多額の都予算の維持経費がかかっており、早い判断を求める声があがっていた。

 そこで出た冒頭の小池都知事の築地はコンクリートで覆われ安全宣言で、豊洲問題が小池都知事の恣意的で都合主義の政争、政局問題化の自己都合であることを示している。

 (4)小池都知事が常々、都民ファースト(都民第一主義)と言っているのだから、もはや豊洲問題は都民に判断を求めるしか収める解決策はない。
 小池都知事はそれ(豊洲市場疑惑)を口実に夏の都議選で自らの地域政党を有利にして闘う意向のようだが、都議選は自らも言うように他にも争点はあり、仮に選挙に勝利すれば豊洲市場移転問題の判断もこの問題の是非とは別に小池判断が支持されたと強弁できるので、問題の本質解決にはならない。

 (5)都民の食の安全、豊洲市場への移転問題に限定した住民投票(the inhabitant's vote of toyosu market affairs)で都民の判断を求めるしか早期の本質的問題解決にはつながらない。

 都民ファーストを掲げる小池都知事が、この重要分岐的政治、社会、文化問題を解決する方法論(methodology)は都民の判断、意思に委ねるしかない。

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犯罪者の社会復帰ー理想と現実。 social return of criminal , ideal and actuality

2017-03-25 20:15:07 | 日記
 (1)元大学生が人を殺害することに異常な関心を持って高年令女性を殺害し、かって中学と高校時代にも同級生に劇物を飲ませたことなどのいくつもの犯罪が次々とあきらかとなった裁判で、名古屋地裁はこの元大学生被告に無期懲役の判決を言い渡した。

 裁判はこの元大学生被告に精神障害、発達障害があるとして、刑事罰の「責任能力」(responsible ability)があるのかが争われた。

 (2)名古屋地裁は元大学生被告の事件当時の計画性、用意周到性から善悪の判断ができたとして「責任能力」があるとして無期懲役を言い渡した。
 しかし、元大学生被告は報道によると今でも週に2回は人を殺害したいと思うことがあると言っており、自分の心理状態を制御できない異常性、障害性をのぞかせている。

 (3)判決は無期懲役だが、裁判長は裁判員からのメッセージとして「判決は厳しいものになったが、いずれ社会に戻れると信じてしっかり更生してほしい」(報道)を伝え、「まだ若いので更生してほしい。必ずできると信じています」(同)と諭した。

 判決は「年令や精神障害の影響を踏まえても有期刑では軽すぎる」(同)として無期懲役刑なのに、一方で「まだ若いので更生してほしい」(同)という二律背反のよくわからない裁判判決だ。

 (4)実は判決の中で「仮釈放の弾力的な運用で比較的早期の社会復帰が図られることが適切」(判決報道)との異例の付言があった。被害者、家族に対する無念への配慮、事件の異常重大性がひとつは無期懲役となり、一方で現在の元大学生被告の精神障害、発達障害性の治療回復、将来性を考慮した二律背反同在の判決になった。

 (5)もとより日本の刑法は報復主義をとらないので、犯罪者の社会復帰(social return)、更生に主眼、軸足を置いて、被告に有利な司法裁判といえる。
 今でも週に2回は人を殺害したいと思うことがあると言う犯罪者の「比較的早期の社会復帰が適切」というのはどう理解していいのかは、まだわからない。

 近年は更生したと仮釈放されて、その後短期間のうちに再び重大事件を起こす再犯率の高さも社会問題化している。
 
 (6)裁判の高邁(まい)な精神性、文化性とそれに必ずしも応えていない服役中の治療、更生指導の相反するギャップを埋める司法体制改善が必要だ。
 高邁な理想(ideal)を現実(actuality)に近づけるための努力、工夫が司法裁判には求められる。そうでなければ被害者家族、社会からは理解されないだろう。

 (7)今回の事件は犯罪者の精神障害、発達障害性が問題となって、家庭、家族、学校、社会のそれぞれの段階での関与、関係が問われた事件でもあり、犯罪者の「責任能力」だけでなくそれぞれの段階での関与、関係の背景事情についても解明が必要だ。

 それがこのような異常事件の抑制、防止につながるものだ。

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外国人労働力と将来社会学。 labor force of foreigner and futuristic sociology

2017-03-24 20:22:20 | 日記
 (1)介護職員の高年令者虐待(illtreatment)が15年度に408件(厚労省調べ)あり過去最多を更新した。9年連続の増加で前年比36%増という際立つ多さだ。
 高年令化社会を迎えて対象高年令者が増加して、これに反して介護職員の人手不足がていねいな対応に追いついていない社会ギャップの現実問題を示すものだ。

 誤解を恐れずに言うなら、対象高年令者に説明しても理解しない、わかってもらえない、言う通りにならないことからくるストレス、いらだち、あせりが虐待につながることは容易に考えられる。

 (2)それならそういう仕事に従事するなと言いたくもなるが、専門家の話では人手不足で介護の知識を持たない介護職員が増えたことが一因だとしている。
 介護現場の人手不足には意欲ある、希望する外国人の人材を借りることが親切でていねいな介護が期待できると書いたが、外国人すべてが資格、知識問題が必要となると短期間での日本語の修得と受験資格取得が障害となってなかなか成果がみられないのが現実だ。

 しかし介護補助となると意欲、向上心の高い外国人が資格取得者の指導のもとで働くことによって、介護現場の人手不足の解消に効果、成果があると考える。

 (3)専門家の言う介護知識を持たない職員が増えたことが介護虐待の増加を招いているとなると考えさせられるが、それは否定はしないが、介護業務というのはなにより根気と意欲と熱意と向上心が求められて、外国人としての言葉の障害はあっても高年令者に寄り添う対応としては根気、意欲、熱意、向上心のある外国人であれば通じ合えることも十分考えられるし、かえって無垢の対応の貢献も高いといえる。

 政府は家事手伝いなど生活補助業務で外国人の人材活用を進めており、東南アジア諸国では日本での対象業務への従事希望者も多いといわれており、日本の世界に例のないスピードでの少子高年令化社会では貴重な労働力であり人材となりうるものだ。

 (4)介護業務の場合には、まずは人間性、意欲、向上心の高さであり、その中で専門知識を学び身につける中で貴重な役割を果たしていくことが大事であり、人材不足分野の外国人活用は避けられない今日的日本の少子高年令化社会の現実問題だ。

 政府は外国人観光客の訪日外国人については経済効果のともなう数値目標(たとえば年間2千万人目標)を掲げて熱心だが、労働力を補助する人材としての外国人招致、外国人労働力(labor force of foreigner)に対しても数値目標を示してこれからの社会資本として積極的に活用していくことが必要な今日的、将来的社会学(futuristic sociology)論だ。

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籠池証言の意図と背景。 aim and background of kagoike's testimony

2017-03-23 19:43:29 | 日記
 (1)森友学園籠池理事長の国会証人喚問が行われた。焦点の安倍首相夫人からの安倍首相からのものだという100万円の金銭授受は、籠池理事長が大変名誉なことなので鮮明に憶えていると金銭授受があったことを証言し、これに政府菅官房長官は午前の会見で安倍首相も夫人も事務所もまったくないことだとして否定した。

 森友学園小学校新設用地の国有地取得価格の経緯については、籠池理事長は政治家の関与(働きかけ)がところどころであったように思うと証言した。

 (2)籠池側が100万円の金銭授受があったことを証言し、政府側がこれを否定するというこれまでの予想通りの展開で、さてどうなるのか。
 国会証人喚問は真実のみを証言し、いかなる偽りも付け加えないと宣誓しての証言なので、政府が否定してそれがなかったことだとすれば偽証罪で告発することになる。

 しかし真実のみを証言すると宣誓して臨んでも、証人は言いっぱなしで政府側はこれまた一方的にこれを否定するだけで「真実」は闇の中だ。ともに証言発言、否定発言を納得させる、裏付ける証拠など示せない状況で、真実が解明されるのかは今のところはわからない。

 (3)籠池理事長は、安倍首相が唱える戦後米軍による押しつけ憲法を改正し自主憲法制定を目指す理念を支持して氏子を動員して国民署名運動を展開する日本会議の大阪関係者であり、安倍首相の保守的理念、考え、思想に近いとみられている。

 その籠池理事長が安倍首相に不利になる証言をあえて展開しているのはどういう意図、目論みがあるのだろうか。

 (4)森友学園の小学校新設建設用地の国有地払い下げ価格の大幅なダンピングでも、籠池理事長は国会証言で政治家の関与(働きかけ)があったと思うと証言して、わざわざ自民党に疑惑の目が向く発言をした。

 ここまで政治、社会問題化した森友学園問題を、いまさらこうした責任を政治に転嫁させることで圧力をかけて事態を森友学園側に有利に好転させることなどありえずに、かえってそうしたくても容易にできない状況をつくりだしている不可解な籠池理事長の行動発言だ。

 (5)これまでの森友学園側のいいかげんな小学校新設の建設計画、設計、手続き、見積もりなどをみていると、いまさら反省して正義感を発揮して「真実」を証言して社会に知らしめようなどと考えている名誉欲とはおよそ考えられない。

 籠池証言の意図と背景(aim and background of kagoike's testimony)にあるのは、あとは日本会議の役割、影響ではないのか。
 籠池理事長も関係する日本会議は安倍首相の憲法改正、自主憲法制定理念を支持して国民運動を展開しており理念、思想に近く、森友学園問題をテコに安倍首相、政府にあえて不利な状況をつくりだしておいて圧力をかけて、今後の政治状況、保守的理念、思想社会実現を有利に引き寄せようとしているのではないのかの疑念が浮かぶ。

 (6)籠池理事長の国会証言でも憲法改正に影響が出てはいけないのでという趣旨の発言もあり、そういうことがあるとすれば、日本の民主主義社会にとって大変危惧すべき事態で看過できない。

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財津作詞講座。 zaitsu lectureship of lyrics

2017-03-22 20:24:30 | 日記
 (1)財津和夫さんが生まれ育った福岡名島界隈で作詞講座を開催した。財津さんは希代のメロディメーカーとして数多くの楽曲をつくりだし作詞力も高く、日本のポピュラー音楽として初めて洋楽旋律に日本語を無理なく自然に見事に乗せた先駆者(frontier)としてニューミュージックをリードしてきたミュージシャンだ。

 言葉を活かすためにすばらしいメロディをつくりだしてきた。東海ラジオ元ディレクターの塩瀬修充さんは作詞家としての財津和夫さんの能力を高く評価しています。

 (2)「言葉が歌になる時」と題した財津和夫さんの作詞講座は、ヒットする言葉(詞)は「刺激的」なことが求められるとして俳人2人の代表的な俳句を紹介して比較論を展開します。

 松尾芭蕉の「五月雨を 集めて早し 最上川」は刺激的で、与謝野蕪村の「五月雨や 大河を前に 家二軒」は生活観があると分析します。財津さんは蕪村の句の方が好きだと解説します。財津さんの作風からすれば芭蕉風だ。

 (3)ブログ筆者からみれば、芭蕉の句には映像美が優れて「早し」が刺激的、写実的臨場感を強調してもたらし、蕪村の句には思索、思想観があふれて漂い、財津さんは蕪村の「家二軒」が1軒だったかもしれないし3軒だったかもしれないが2軒であることに生活観を考えさせるものだと解説します。

 (4)その後、財津和夫さんは自作曲の「虹とスニーカーの頃」が意図してつくってヒットした代表作と話し、「わがままは 男の罪」と折り返し出てくるフレーズ(phrase)の「わか(若)かった 何もかもが」がすべて「あ」音で統一されて韻を踏んで効果があったと解説します。

 財津和夫さんの言葉は映像美学に優れて、言葉を聞いてすぐにふっと映像として浮かぶすばらしさがあり、それが長く愛される理由です。

 (5)「虹とスニーカーの頃」では、白いスニーカーを汚さないように2人は裸足で雨の中を歩いたという映像美学がヒットを後押ししたこともあると考える。

 白いスニーカーが若者の無垢(innocence)の気持ちをあらわし、それを汚す雨が社会の打算、計算、醜(みにく)さを示し、雨の中を裸足で歩くことで若者の社会に対する純真性、それを守る反抗心を象徴的にあらわしている映像美学と受け止めている。

 (6)財津和夫さんの言葉(詞)の映像美学は「サボテンの花」の洗いかけの洗濯物、シャボンの泡が揺れていた、君の香りが揺れていた、「冬のメインストリート」の光のシャワーのように幸せを道に捲(ま)いた店の明かりなど印象的なものが他にもたくさんあります。

 財津さんは講座最後に好きな言葉として「風」をあげています。しかし、自分が好きになったら、そこで止まってしまう、終わりだとも言っています。

 (7)財津和夫さんがこういう講座をすることは意義がある。45年の音楽活動の蓄積、財産を社会に還元することは特別に与えられた人の仕事の大きな意義だ。

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