日暮らし通信


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妻のこと

2014年07月09日 21時06分24秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ノウゼンカズラ

ある民家にて



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今日、妻はDS (ディサービス) へ。

いつも迎えの車が見えなくなるまで見送るが、今日もまた私の胸中は複雑な心境になった。

かつての私の人生プランではそのような見送りは予想だにしなかったのに、と思ったが 「愚痴っちゃ駄目だよ」 と、どこかで ”天の声” が聞こえたようだった。

妻も好んで ”介護される者” を選んだ訳ではないし、私も ”介護する者” を選んだ憶えが無いから、二人とも与えられた役割を全うするしかない、と諦めるしかない。

と、私は思うのだが、さて妻の考えはどうだろうか?

さて、独りになると、また複雑な気持ちになる。

 「もう妻の介護はこりごりだ」 と、いつも()を上げているのに、独りになると何故か傍を見ても妻がいない空間を寂しく感じるのはどうしてだろうか?

「DSで妻はどうして過ごしているだろうか? ヘルパーさんに迷惑を掛けていないだろうか?」 と、また余計なことが頭を(よぎ)る。

 「そんな心配は必要ありませんよ」 と、いつもお世話になっている女性ケアマネさんから言われるのだが、私はどうも心配性(しんぱいしょう)のようだから、いつも同じことに悩んでいるようだ。

介護とは先の見えないトンネルの中にいるようでいつも不安の壁に取り囲まれている。

その不安の重さに押し(つぶ)されそうにもなるが 「妻のために潰される訳にはいかない」 と頑張るしかない。






F4ファントムの想い出 (其の三)

2014年07月09日 17時07分10秒 | ひこうき雲


好きな飛行機のことを発信します



  写真説明 : 展示中の F-4JE
  
  撮影場所 : 航空自衛隊入間基地
  


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F4は昭和43年、航空自衛隊の迎撃戦闘機 (F-4JE) として選定され、その搭載エンジンである J79-IHI-17 が国産化されることになり、45年10月には1号機が防衛庁に納入された。

私は41年3月からは自衛隊の F-104J の搭載エンジンである J79-IHI-11A の運転部門でテストに従事していたが、この J79-IHI-17 も初号機からテストに参加した。

私が出会った最初の欧米系エンジンが J79-IHI-11A だったが、それまでにテストした国産の J3 エンジンとは違って、当時最新鋭のアフターバーナー付きターボジェットエンジンだった。

J79-IHI-11A と J79-IHI-17 との違いは多々あるのだが、この両者からは多くを学ぶことができた。

だが数えきれないほどのエンジンをテストしたが、その時は緊張の連続だった。

ある上司からは安全に仕事するには 「いつも緩やかな緊張を持て」 とアドバイスされたが、その通りの 「緩やかな緊張」 だったのかもしれない。

しかし、もうどれもこれも遠い昔の想い出の中に活き続けている話しである。





F4ファントムの想い出 (其の二)

2014年07月09日 11時50分38秒 | ひこうき雲


好きな飛行機のことを発信します



  写真説明 : タキシング中のF4Dファントム
  
  撮影場所 : 横田基地 (1967年頃撮影)
  


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ベトナム戦争中、横田基地には二つの戦闘飛行隊が配備されていたが、一飛行隊は12機編成だから24機のファントムが常駐していた。

そのお陰でこの基地ではお馴染みさんのように毎日F4ファントムを見ることができた。

ある時、この基地だけの小規模なエアショ―を行ったことがあった。

基地内を見ていたら次から次へとファントムが現れ、テイクオフするため数珠つなぎのようにタキシングするのは見事な光景だった。

それを数えたら何と23機、このような多くの戦闘機を一堂に見たのは後にも先にもこの時だけだった。

その後は四機づつでテイクオフして編隊飛行があり、青空を縦横に飛び交っていたのは素晴らしい眺めだった。

でも24機のはずだが、あと一機はどうしたのだろうか? 

だが良い話ばかりではない。

ある時、テイクオフ後エンジン不調で基地北側の小高い丘に墜落したファントムがあった。

昼休み、私はその事故現場を見に行ったが、MPに 「野次馬は駄目!!」 と言わんばかりに追い返された。

 「私はファントムファンです。パイロットのご冥福をお祈りに来ました」 とでも懇願すれば見せて貰えたかもしれないが、それを英語で話せないので諦めました。

当時の横田基地には所謂(いわゆる) 「センチュリーシリーズ」 と呼ばれるF100 (スーパーセイバー),F101 (ヴードゥー)、F102 (デルタダガー)、そしてF105 (サンダーチーフ)などの機体もやって来ましたが、今、想うと飛行機ファンにとっては夢のような機体ばかりでした。

この写真は保管状態が悪かったので不鮮明だが、写真からスキャニングした画像です。