日暮らし通信


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雷様は怖いです

2014年07月25日 18時14分27秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ノウゼンカズラ

路傍にて



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昨日は18時過ぎから激しい雷雨になって、私が住む東村山市にも 「大雨、洪水注意報」 が発令された。

激しい稲妻(いなずま)と叩きつけるような雨の降る音に妻は(おび)えるように私の手を握り締めた。

こんな雷雨の時、私はもう逝ってしまった妻の両親を想い出した。

畑持ちの両親は仲が良く、毎日二人で農作業に打ち込んでいた。しかし、例え遠くでも雷鳴が聞こえると金属製の(くわ)や鎌は畑の境界線に植えてある茶の木の下に置いて家に帰った。

雷雨になるようだと仏壇に線香を焚き、居間に蚊帳(かや)を張ってその中に入り、二人でじいっと座っている姿は私には異様にも見えた。

それは(あたか)も雷に対して迷信を信ずる古い人の時代遅れの感覚だと、私はそんな目線で両親を眺めていた。

しかしそんな嘲笑(ちょうしょう)じみた私の考えを一瞬に吹っ飛ばす出来事があった。それはある暑い夏の夕方のことだった。

明るかったのに一転(にわ)かに暗くなって雷鳴が(とどろ)き激しい雨が降りだした。

当時、我が家は石油ボイラーによる給湯装置だったが、電源を切ることもせず、私はそんな雷鳴に躊躇(ちゅうちょ)せず入浴することにした。

浴槽に入って間もなく、凄い音とともに近くに落雷したらしい。

その瞬間、私の体は良導体となって地中を伝わってきた電流が左足から体内に流れ、心臓から約20センチ下まで通電した。

私は恐怖に打ちのめされた。もう少し電流が流れて心臓から抜ければ完全に死の体となっていたはずだ。

おそらくは落雷によって巨大な容量の電流がアース線を経て給水装置に逆流したのだろう。

この出来事はそれまでの自然のエネルギーに対する考えを一変することになり、呼び捨てにしていた名称も 「雷様(かみなりさま)」 と呼んで一目(いちもく)置くこととなった。

先人たちは雷様の恐ろしさをよく知っていた。

両親が蚊帳の中でじいっと時が過ぎるのを待っていたのも、正しく先人たちの経験と知恵の教訓であったのだろう。

鍬や鎌を持たずに帰るのも、金属だから途中で落雷の恐れを回避する方法を知っていたのだ。

 「地震、雷、火事、親父」 と怖いランクを決めたのも先人たちのデータ蓄積の分析結果だったのだろう。

1~3位までは全くその恐ろしさは変わっていないが、4位の 「親父」 だけは ”張り子の虎” のように ”怖さ” が失墜してしまったのは私も親父だから残念だ。

今夕は雷様の出番もなく穏やかに暮れていくようです。

雷様、どうか暫くお休みください、とお願いしました。