続きです。
本来の仏教は煩悩や執着の心を絶つ宗教だったと言える。菩薩戒があり不殺生や肉食を禁じられていた。
それなのにどうだ、今の仏教は。全然守っていないではないか。
私は高級寿司屋から出て来た二人の僧侶を見たことがある。贅沢三昧の生活をしているではないか。ベンツ等の高級車を乗り回しているし。完全に煩悩と執着の塊ではないか。
それだけではない。女犯も禁じられていた。修行の妨げとなるから女性との接触は一切認められていない。それなのに現在は普通に結婚している。仏教の戒律を破っている。
それなのに何が仏教だ。浄土宗の格式だ。醜くぷっくりと太った僧侶が何を言うか。
私も太っているから分かる。肥満は怠惰の象徴だ。ぐうたらな生活をしているから太るのだ。そんな姿をしているのに、浄土宗の格式とは良く言えたな。
「9文字の戒名は最低100万円は頂かないと」とよく言えたな。執着の塊野郎が。
もし私が余命三ヶ月の命だったら親族とは完全に縁を切り、その豪華な寺院を燃やしてくれたいわ。
父が買い求めた墓地は元々、無縁仏となった墓だった。
その墓石を撤去し遺骨も移した。墓暴きをしたのも同然。死者に対するこれ以上の暴挙は無いだろ。死者の心を踏みにじるこれ以上の悪行は無いだろ。
それほど金が欲しいのか仏教は。金が命が浄土宗は。
昔の仏教者は女犯を犯していないのかもしれない。それは認める。
しかし、男色に走っていただろ。寺小姓や稚児との男色をしていただろ。それは煩悩の何物でも無いだろ。女犯は禁じていても男色はOKなのか仏教は。
空海や最澄も男色や稚児愛に耽っていたとの話も聞いている。
最澄の美男の弟子を空海が取ったとも聞いている。最澄が弟子に出した証拠の手紙も残っていると聞いた。
それなのに偉そうに仏教を語れるのか。人に説法が出来るのか。何とか言ってみろ、空海よ。
空海は今も生きているとして 空海の食事の上げ膳据え膳を弟子たちが続けている。空海を神格化している。空海はもう死んでいるのに生きていると言い張っている。
人を騙して何が仏教なのだ。宗教は商売なのか。真言宗よ、何とか言ってみろ。
生きているなら何か弁明してみろよ、空海よ。
続く。