今回の話は私が体験した話ではありません。伝え聞いた話です。もう30年以上前の話です。
父の職業は新聞販売業でした。父は私に後を継がせたい気持ちはありました。
私も一週間ほど東京に修行に出ましたが、仙台と東京の違いに愕然として挫折して帰って来ました。
東京は夕刊があり、仙台は夕刊が無い。仙台の方が業務内容は楽なのですが、新聞販売店の利益の要と言えるチラシ代が東京の3分の1以下。これでは仙台で販売店をするのはバカバカしい。
それに証券会社時代にクイックを知った。
株等の売買注文を出すコンピューターだ。このクイックで株価を知る事が出来る。情報も流れて来る。これは何れ家庭に導入される筈。そうなると新聞の必要が無くなる。昭和61年にそう確信しました。私が後を継いでいたら破産していた。
否、財産を全て無くして自殺していた可能性もある。事実、私と同じ歳の二代目が自殺している。私は継がなくて良かった。父も母も後にそう思い直したみたいだ。
まっ、その話はどうでも良いや。
父が平成2年に自宅兼マンションを建てた。設計に渡り私と父は対立した。父の案を決行したら必ず失敗する。私は何度も主張した。そして父も私の案を飲んだ。それで私は安心して東京に出た。
それなのに父は私との約束を反故にして自分の設計に変更した。結果、失敗した。億単位の損となった。
私が東京に出なければ、こんなザマにはならなかった。父を殺したい程憎んだ。今も憎んでいる。
私は子供の頃から新聞配達をして家業を助けていた。それをパーにされた。私が鬱なのもこの失敗が根底にある。
あの馬鹿は私の失敗を喜ぶ男だった。そして必ず私との約束を破る。私の失敗を笑う為だ。
もう亡くなったが、今でも恨んでいる。あの時、私の案を取っていてくれたら成功していた筈。それが悔しくで仕方がない。
だが、父も自宅兼マンションを地元の〇〇ホームで建てて後悔していた。欠陥住宅だったのだ。
雨漏りがする。階段のガラスが割れる。地震に弱い。設計ミスのオンパレード。
〇〇ホームは今も続いているが、欠陥住宅で有名な企業だ。ここの建物は大抵雨漏りがしている。設計が素人なのだ。
父は人に騙される為に生まれて来た様な男だ。私なら騙されなかったと思う。その悔しさも私の鬱の一因になっている。
本当に悔しい。
続く。