諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その3

2024年02月22日 16時47分56秒 | 神道
続きです。

阿須波神、波比岐神、生井神、福井神、綱長井神の坐摩五座神の中で、リーダーと言うか、主祭神は誰なのか。

それは阿須波神で間違いないでしょう。坐摩神を祀る越前祖神・足羽神社の「足羽」は、阿須波神を指していますし。

因みに阿須波神と対の関係にある波比岐神は、その発音からアラハバキ神を連想します。

アラハバキ神は「荒覇吐」、「荒吐」、「荒脛巾」、「阿良波々岐」と表示されますが、「脛巾」は旅立ちで装着する物ですから、旅立ちの神をも連想します。そうなると旅立ちの神である阿須波神と同神。或いは夫婦神と考えられます。

「阿良波々岐」と言う名にも注目です。伊勢神宮・内宮前に矢乃波波木神を祀る社が鎮座していますが、この矢乃波波木神は箒神です。家の穢れを箒で祓う。

波比岐神は庭神ではありますが、屋敷神でもあるのです。矢乃波波木神は波比岐神で間違いないでしょう。そしてアラハバキ神の可能性も考えられる。

疑問点は矢乃波波木神を祀る社は、伊勢神宮の社で唯一??禁足地とされています。何故かは不明ですが、禁足地と言うからには祟りが考えられます。それだけ鬼渡神の波比岐神には怖さを感じます。

話を阿須波神に戻します。

千葉県市原市に大変小規模ですが、阿須波神社が鎮座しています。

不思議ですよね。足羽神社は阿須波神の名を暈して足羽神社と称している。そして鈴鹿峠は以前、阿須波峠と呼ばれていた。其れなのに阿須波神の名を冠した神社が市原市にしかしかない。しかも小さい。

何故、市原市に鎮座しているのか。

それは「庭中の 阿須波の神に 小柴刺し 吾は斎はむ 帰り来までに」との防人の歌が有りますが、その歌が詠まれた場所がこの阿須波神社だと言われてます。

歌の意味は「庭の中に祀られている阿須波神に小柴を捧げ、私は戦に行った夫(多分)の無事を身を清めて祈ります。夫が無事に返って来るその日まで」と言う事です。

阿須波神は庭神だから庭に祀られる。それは正しいと思いますが、何故、この地に阿須波神の名が残っていたのか。

古代、常陸の国から蝦夷の国・日高見国と呼ばれていました。茨城県の「茨城」も蝦夷の城を意味します。蝦夷である佐伯氏の城だと聞いています。

多分、千葉県市原市も蝦夷の住む地であった。蝦夷は阿須波神を信仰していた。阿須波神はこの地の地主神であったと私は考えます。


続く。

コメント (2)
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