諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日馬富士の貴ノ岩暴行事件に想う。その2【相撲は国技ではなかった】

2017年11月26日 10時26分16秒 | ニュース
私、知らなかったのですが、大相撲って国技では無かったみたいですね。前回、「相撲は国技だ」なんて言ってしまって済みませんでした。訂正します。

国技とは「国を代表する武芸、競技」を言うらしいですが、相撲は国技とは決まっていない。柔道、剣道、合気道等々、日本独自の武芸の中に相撲が存在する。何も日本第一の武芸と言う訳ではない。日本独自の武芸の一つ。それに過ぎないだけです。

日本の武道の中で何故相撲だけ商業として成立したのか。

簡単に言うと「簡単に勝負が決まる事。そして競技者の個性が分かり易い。勝負にゲーム性がある。体格、実力に差があっても成り行きで逆転が出来る。倒すか土俵から出すかの勝負の分かり易さ。技が数多くある。トリッキーな動き」等々でしょうか。

柔道や剣道は勝敗が分かりずらい。有効、技あり、一本。これ見ている人にはどうやって判断したらいいのか。人それぞれ判断の基準がある。

競技者も剣道は武具を付けていたら誰が誰だか分からない。柔道は対格差は何ともしようがない。ハッキリ言って勝負が詰まらない。

昔、プロレスに対抗してプロ柔道と言うものがありましたが、人気にはならなかったのもその為だと思います。

相撲は長い歴史があります。古事記にも書かれていますから。

相撲の原型はルール無しの殺し合い。敗者が死ぬ事で勝敗を決していた。その後、奈良時代に「殴る、蹴る、突く」が禁じられた。更に戦国時代に織田信長によって土俵が考案された。土俵により競技にゲーム性が加わった。楽しくなった。それで現代の相撲人気が続いてきたのだと思えます。

相撲は柔道や剣道に比べ娯楽性がある。一時は女相撲も存在し、色眼鏡で見られた時代もあった程。相撲は楽しい。これは日本の他の武道と一緒に論じなくても良いのかも知れません。

15日間も相撲の試合が続く。コンディションの問題もある。だから八百長試合も発生した。

相撲は見世物。見世物であるなら武道の精神を貫くのはもう無理かも知れない。横綱に品格を求めるのも無理かも。特に外国人、モンゴル人には。

純日本人でなくても武士道の心が有るなら相撲は成立すると思います。その最もたる者は父親がロシア人だつた大鵬です。横綱の鏡たる人物でした。

その正反対に位置するのが朝青龍でしょう。この男、今、日馬富士の暴力問題で来日している旭鷲山と以前、風呂場で喧嘩して激高。旭鷲山のクルマのドアミラーをぶっ壊した事もあります。この程度の男に品格を求めるのは無理。初めから間違っている。横綱なんか務められる訳がない。

日本人の横綱だって私と同世代の双羽黒みたいな者もいました。品格が必要とされるのであれば相撲は成立しない時代なのかも知れません。今のネット時代では直ぐに噂が広がりますから。

貴乃花がいくら頑張って相撲界を浄化しようと思っても、人の心には誰しも悪があります。

貴乃花も兄弟子に人気を妬んでの陰湿なイジメにあった。貴ノ岩の為に形振り構わず守っているのも当時のじぶんと照らし合わせているのだと思いますが、品格を求める点では相撲はもう成立しないのではないでしょうか。

横綱だった曙も身体に入れ墨を入れてプロレスをやっていますが、ここまでくると相撲のプロレス化も有かも知れません。

曙はアメリカのスモウレスラーとリングで相撲を取って何時も勝って喜んでいます。日本の相撲もそんな感じでやったら良いのではないでしょうか。品格が無い力士ばかりの様ですから。

もう相撲にも興味が失せました。今回の日馬富士の暴力事件で呆れ果てた。相撲の隠ぺい体質にも。過去に人が死んだと言うのに。

そしてモンゴルでの日馬富士擁護の報道、暴力事件を起こして引退させられた朝青龍の言動にも嫌気が刺した。

あんな力士はもう見たくもない。そろそろ相撲の歴史も終わっても良いのでは。

何か残念ではありますが、そう思ってしまいますね。


ではでは。















コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする