諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

会津に逃げて来た海人・アタ族。その3

2017年11月09日 17時22分26秒 | 神道
続きです。

アタ族は会津に限らず、全国に散らばったと考えられます。そして妖怪・手長足長、ダイダラボッチ、一つ目の大男の伝説で語られている。

これは朝廷側から見れば蔑まれているからなのでしょう。妖怪として貶められたのです。

しかしながら祟りは恐い。その恐怖から神として祀る両極端な信仰が発生した。これは日本の神は善でもあり悪でもある。神は人の罪を背負う存在。その考えが妖怪と神に分けたのだと思われます。

ここで疑問なのですが、鉄はアタ族だけが生産していたのでしょうか。

当時の鉄は最先端の技術です。鉄を制せば全てを制する訳です。だったら他の部族も鉄を御求めていた筈。この点にアタ族が会津にやって来た秘密が隠されている気がします。

このアタ族ですが紀元前2世紀頃、中国の華南省や広州あたりから沖縄を経由して鹿児島や長崎に上陸したとの話です。ノウマ神を信仰する製鉄農耕民族で航海術にも優れているそうです。

このノウマ神ですが、「女良 女馬 神」と書きます。娘と雌馬と言う事でしょうか。これ、日本のオシラサマ信仰、そして素戔嗚尊に殺された記紀の斑馬と稚日女尊の話に似ていますよね。

更に時代は過ぎ、アタ族は伊豆諸島から伊豆半島に上陸。彼らアタ族の族長は大山津見神とされています。

会津も大山津見神信仰の地です。私は大山津見神は日本の地主神だと考えていましたが、会津の大山祇神社では大山津見神は大陸からやって来たとしています。うーん、これは私が間違っていたのかも。

大山津見神の別名は和多志神。つまり渡神。鬼渡神です。この渡神は誰と戦っていたのか。それは天皇系のヤマトタケル命です。

今の相模湾あたりで船にて移動していたヤマトタケル命の前に現れた渡神は、嵐を起こしヤマトタケル命一行の行く手を遮ります。ヤマトタケル命の妻??の弟橘媛は嵐を鎮める為に入水。これで難関を乗り切った。

私の故郷の福島県と宮城県はヤマトタケル命の白鳥伝説の地です。そして渡神系の神々が祀られている鬼渡神社が密集している。つまり渡神とヤマトタケル命は福島県・宮城県でも戦っていた可能性がある。その点も一致していると思います。

それともう一つ敵がいるとしたらカモ族。多分、伊豆に上陸し、アタ族を伊豆から追い払ったのではないか。

アタ族、カモ族、そして天皇系のヤマトタケル命に共通するのは三種族共に農耕民族であり産鉄を行っていた事。互いに覇権を争っていた。そしてその中で一番古いアタ族は弱かった事。

若しくは素戔嗚尊系のカモ族は最初の天津神。故に続いた天津神であるヤマトタケル命と共同路線を引いたとも考えられる。だからアタ族は不利に陥った。

否、弱かったのではなくて争いを好まなかったのかも知れない。だから古代は湿地帯だった会津に逃げた。天皇系のヤマトタケル命やカモ族が簡単に立ち入れない場所に。

そう考えると武内宿禰が福島県いわき市に1年半も滞在した理由が分かる。会津のアタ族を探っていたと考えられる。そしてヤマトタケル命の残党の勢力も。

何しろヤマトタケル命は武内宿禰が殺した仲哀天皇の父親。だから福島県に残っていたヤマトタケル命の勢力を知っておきたかった。出来れば残党を始末したかった。

宮城県多賀城市笠神の仁和多利神社に武内宿禰が祀られているのも何かしらの関連があると思う。アタ族の神を変えて敵対する勝者を祀ったのではないだろうか。支配者を主張する為に。

最後にアタ族は沖縄を経由して日本にやって来た。出雲の背黒海蛇もピカピカとその身を光らせ海を照らしながら沖縄から渡ってくる。つまり海照らす。

出雲大社や佐太神社では海辺に打ち上げられた背黒海蛇を神の使いとして奉納する。神事として残っている。それらは背黒海蛇をアタ族と見なしているからではないだろうか。

海を照らして沖縄からやってくる背黒海蛇。そこに本来の天照大神の原型が見られると思います。天照大神は天津神ではなく朝鮮を経由せずにやって来た海照大神。つまり海神。そして初期の太陽神ではないでしょうか。


ではでは。












コメント (4)
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