安東伸昭ブログ

安東伸昭の行動日記

津山市議会3月定例議会議案説明会

2014年02月24日 | 議会報告

平成26年2月24日 11:00~

津山市議会3月定例市議会議案説明会がありました。

3月定例議会は、3月3日から3月25日の開会となります(23日間)

  本会議   3月3日・3月25日

  一般質問  3月10日から3月14日(予定)

  常任委員会  3月17・18日(2日間予定)

  特別委員会  3月19日

【議案内容】

26年度一般会計、特別会計予算関連 21件

25年度一般会計、特別会計補正予算関連 12件

条例の一部改定等条例議案 10件

指定管理者指定議案 1件

道路認定議案  1件

工事請負変更契約締結議案 4件

東部学校給食センター食缶購入議案 1件

合計 60議案

会期末に人事案件 1件追加上程予定

一般会計予算については、市長選挙の関係で骨格予算となっています。

一般会計予算(428.8億円)・特別会計(281.9億円)財産区会計(0.17億円)企業会計(61.1億円)合計772.0億円の予算について審議します。

 

議案説明会の前の9:30から広報調査特別委員会を開らき、この3月からの「議会だより」について、レイアウトの変更を行い、市民の皆さんに見やすい「議会だより」を作成する協議を行いました。

 文字の大きさを大きくする。

 議案に関する写真を多く使用する。

 議案質疑について、議案毎にまとめる。

等について、委員会で協議し、3月定例議会中に各議員に説明を行う事となりました。

今年1年をかけて、構成変更を行い、市民の皆さんから意見を募集した上でより解りやすい議会だより編集に当たります。


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わがまち・ふるさと・移住受け入れ計画セミナー

2014年02月23日 | 地域

平成26年2月23日 13:00~

高倉公民館で、わがまち・ふるさと・移住受け入れ計画セミナー(巻き込む)が開催されました。

講師:尾野寛明さん

 https://www.facebook.com/#!/ononoaccount

講師:水戸抄知さん

取組紹介

 下山智久さん、和田優輝さん

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野菜の栽培講習No.5

2014年02月23日 | 農業

平成26年2月23日 10:00~

鏡野町中央公民館で、有機野菜栽培講習会(5回目)がありました。

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今日は、有機肥料についての話しです。

アミノ酸肥料は第分類で2つある

 発行型(SGR) 即効性

 抽出型(ダシ) 持続性

   SGR452(NPKの%表示)

 炭水化物の量を計算する

 100-(N×6+P+K)

  

ミネラル肥料

 水溶性

 ク溶性(クはクエン酸)

季節、野菜の成長時期等を判断して、施肥時期を見極める。

実験の様子

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情報提供

 食と農を科学する そのおいしさにはワケがある。

 開催日 3月1日・2日

 場所:徳島県小松島市(小松島市保健センターミリカホール)

 3月1日(13:00~17:00)

  勝ち残る米づくり

 3月2日(10:00~16:00)

  食と農を科学する

 

 

肥料袋の説明資料を確認して使用すること


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鏡野地域の集落座談会に参加

2014年02月22日 | 農業

平成26年2月22日 14:00~

鏡野町中央公民館で開催された、集落座談会に参加しました。

JA津山主催による、鏡野支店エリアの座談会ですが、行政が変わるとどのような座談会になるのか、一度確認しておきたいと思い、参加させていただきました。

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新たな水田農業政策のポイントについての説明が主体でしたが、説明終了後の意見交換・質問については、厳しい意見も出されていました。

 ・GS廃止についての再考

 ・農協は、組合員の立場に立って運営に当たっているのか?上の方ばかり見ているように受けとめれる。

 ・葬祭場の運営についての確認

 ・肥料や燃料代(ガソリンの小売価格)が農協は高い!

 ・職員の人事異動が早いのでは!

等々

 今日の説明資料(新しい農政)については、今日以降様々な問合せが有るように予想できる。

 

 


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ひな祭りこども茶会

2014年02月22日 | 文化・芸術

平成26年2月22日 10:30~



勝北公民館和室で開かれた、ひなまつり子ども茶会に参加しました。



小・中学生茶道教室(濃野栄子先生)のお手前にお茶を一服頂きました。



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これまでの茶道教室で学ばれたお手前により、美味しい抹茶を頂きました。



生徒の友達やご家族の皆さんも招待されていいました。



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心休まるひと時を過ごさせていただき、ありがとうございました。




#ひな祭り子ども茶会




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新野小学校6年生が津山市議会の学習

2014年02月21日 | 教育

平成26年2月21日 13:55~(5時間目)

津山市立新野小学校6年生が、津山市議会の学習をする。

議会事務局山本主幹が講師となって、津山市議会の内容の説明を行いました。

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2週間ほど前に国会について学習したばかりとの事で、的確な質問が事前に議会事務局に送られていました。

児童にとっては、身近な議会制について、聞くことができ、おおいに勉強になったのではと感じました。

2日前の税務の勉強、今日の議会の勉強に飛び入り参観させていただき、私も大変参考になりました。

議場見学はあっても、事務局から出前授業を行う事は初めてのことのようです。

5年生のクラスは、同時間に津山市社会福祉協議会の方から車いす体験の授業を受けていました。

身近な生きた教材を使った授業も大切なことだと思います。

 

 

 


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新善光寺の弘法大師行状図画説明会

2014年02月21日 | 研修

平成26年2月21日 10:30~

高野山真言宗 金森山新善光寺の客殿にて、住職より弘法大師行状図画(掛軸 2副)に描かれている、お大師様のお生まれから遣唐使して中国で仏教修行を行い、高野山に開創されるまでの説明を受けました。

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弘法大師・空海(774835)

承和2(835)321日、高野山で日本史上最大級の宗教家、空海が死去しました。

空海は宝亀5(774)四国の善通寺の近くで生まれました。父の名は佐伯直公善通、母の名は阿刀氏玉衣御前、幼名は真魚(まお)といい、大変賢い子供であったので叔父に勧められ奈良の大学に学びます。

しかしやがて大学で教えられる儒学では社会にあふれている矛盾を解決できないのではないかと悩みます。そして、その時一人の僧と出会った事から大学をやめ、修験者の中に身を投じて自然の中で荒行を積むようになりました。

正式に出家したのは20歳の時。はじめ教海、そして如空、やがて空海と名乗ります。

「空海」の名は、四国の室戸岬の近くの御蔵洞という洞窟で虚空蔵求聞持法の修行をしていた時「わが心空の如く、わが心海の如く」という境地を体験したことから付けた名前であるとのことです。

彼は自然の中で修行をするとともに、奈良の寺院にも出入りして理論的なことも学んでいますが、22歳か25歳のころ経蔵の中で「大日経」を発見、内容に興奮します。

しかし、その経を解説できる者は当時日本にはいませんでした。彼は中国へ渡ることを決意します。

25歳から31歳頃までの空海の足跡は全く分かっていません。また渡航に必要な巨額な費用をどうやって調達したかも分かっていません。ともかく、空海は31歳の時、私費留学生として中国へ渡ります。留学の予定は20年間でした。

遣唐使(630~894)までに約20回派遣

空海は804年(31歳)に遣唐使として参加し中国へ

最澄も短期留学の公学生として派遣された。

空海は20年間の留学を条件として中国へ行くが、2年間学んだだけで、806年に帰国する。

806年以降32年間遣唐使は派遣されなかったので、もし2年で帰国しなかったら真言宗はなかったかもしれない。

当時遣唐使は「よつのふね」とも呼ばれ、4艘の船で渡っていましたが、この時一行は嵐に遭い、第3船と第4船は沈没し、多くの留学生が命を落としました。空海はこの時第1船に乗っており、第2船には彼の生涯のライバルとなる最澄が乗っていました。最澄は空海と違って当時既にかなり名をなしており、身分も国費留学生でした。この時はまだ二人は出会っていません。

さて、中国についた空海はまず梵語を勉強します。それは仏教の聖典が多くはもともと梵語で書かれており、それをマスターしておくことは教えの深い部分を知るためには必須と思われたからです。彼はそのほかにも当時中国にあった種々の文化を修得しました。儒教や道教はもちろん、キリスト教・ゾロアスター教・マニ教なども勉強したといいます。その一方で彼は多大の資金を投入して、日本に持ち帰るための仏典の筆写をやらせ、多数の仏教の法具を購入しました。

中国についてから1年近くたった時、彼は満を持して青龍寺の恵果のもとを訪れました。恵果は密教の大きな二つの流れ「大日経」系と「金剛頂経」系を共に継承した、中国密教の頂点に立つ僧でした。その恵果も彼を待っていました。

空海が来るなり、恵果は他の弟子が驚くのを制止して自分の持っている全ての知識を彼に伝える作業を始めました。彼は空海が自分の持つ密教の法を嗣ぐことのできる才能を持つ逸材であることを知っていたからです。

この伝授は3ヶ月後の恵果の死によって終了しますが、その間に彼は10年かからなければ普通伝えられない程のものを恵果から学んだといいます。恵果の法嗣を受けたのはこの空海と中国僧の義明の2人だけでしたが、義明はその後若くして死んでしまい中国側の法灯は途絶えてしまいます。そのため、密教の正統はこの時、中国を離れて日本に渡ることになりました。

彼は恵果が亡くなると20年間の留学の予定を切り上げてただちに帰国します。これは遣唐使になった時の約束違反ですから、本来死罪ものです。しかし彼が学んできたものは十分それをひっくり返す価値のあるものでした。彼はそのことを書いた朝廷への報告書を提出しました。そして幸いなことにその彼の報告書を理解し、その重大性を天皇に進言できる人物が存在していました。

一緒に遣唐使として中国にわたり、一足先に帰国していた最澄です。最澄は留学の予定時間も短かった為、どうしても色々なものをつまみ食いするだけの留学になっていました。彼も一応密教は勉強してきたのですが、空海ほど深くは学んでいなかったのです。彼は空海の話を聞きたいと思いました。

最澄の言葉により嵯峨天皇は空海を新しい平安京に呼びました。天皇が空海に彼の密教はどんなものか尋ねると、彼は即身成仏の実際をお見せしましょう、と言い、その場で印を結んで何か真言を唱えました。するとその時嵯峨天皇の目には空海の体が真っ赤な炎に包まれ、その姿が大日如来に変身したように見えたのです。

こうして空海は遣唐使の任を途中で放棄した罪を許され、高雄山寺で真言宗の法灯をかかげることができました。彼の許には最澄も自分の弟子を連れて入門しました。(二人はその後理趣経の扱いで対立、袂を分かつ)

一方では彼は中国で学んだ知識を活かして各地の土木工事の指揮を取ったり、また庶民教育のための学校を設立するなど、非常に精力的な活動をしています。また、彼は書道でも非凡な才能を発揮、後に彼は嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆と呼ばれることになりました。また絵画や彫刻の才能もあったということで、彼は宗教家としてのみでなく、社会事業家・芸術家としても精力的に活動をしたのです。

その空海にもやがて死の時が訪れます。先行きが短いことを知った空海は京を離れ、高野山に籠ります。高弟の一人の真雅を法嗣として指名(東寺を実慧,神護寺を真済,東大寺真言院を真雅に託した)、伝法灌頂を授け、最後の力を振り絞って衆生済度のために万灯万華会を行います。そして結局2年間の闘病生活を経て承和2(835)321日死去しました。そして多くの伝説が生まれました。

空海の伝説は全国各地にありますが、しばしば温泉を見つけたり仏像を刻んだりまた各種の奇跡を起こしたことになっています。日本の温泉の3分の1くらいは、伝説で空海か役行者(えんのぎょうじゃ)が見つけたことになっているかも知れません。

天安元年(857)、文徳天皇は空海に「大僧正」の号を遺贈しました。そして、更に延喜21(921)、醍醐天皇は空海に「弘法大師」の諡号を贈り、彼の遺徳を讃えました。


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集落座談会(津山市東部地区)

2014年02月20日 | 農業

平成26年2月20日 13:30~

集落座談会(東部営農センター会議室)が開かれ、約60名の農家の皆さんが、新たな水田農業施策のポイントについて説明を受けられました。

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津山市農協独自の説明資料と農林水産省作成の「新たな農業・農村政策が始まります!」の資料を基に、説明がありました。

約90分の説明で、農業者が理解できたか!疑問に思える座談会の印象を持ちました。

農地中間管理機構が4月に設立されますが、中小農家がどこの誰に申し出するのかとの質問には、だれも答えられない状況です。

人・農地プランにおいて、これまでは農地の出し手は、農地利用集積円滑化団体(JA等)又は農地保有合理化法人へ10年以上の白紙委任を行う。とあったのが、今日の説明では、農地中間管理機構に変わっている。(変更の説明はなされなかった)

農地維持支払(創設)に関する質問で、農道沿いの草苅を行った場合、誰に請求すればいいのか?との質問に対しては、20ha以上の農地面積で新たな活動組織を作り、申請する必要があるとの説明でした。

このことについても、行政の一定の方針を出しておかなければ、「資源向上支払」制度との整合が取れなくなると危惧する。

※の説明が足りなかったのではと思われる。(P21)

いずれにせよ、短時間で制度改革を説明して理解を求めるのは無理があると感じた集落座談会でした。

今後、どのように農家に説明していくか?課題であると思う。

 

 

 

 


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道の駅市町村連絡会発足

2014年02月20日 | 農業

平成26年2月19日 津山朝日新聞記事



12自治体により「道の駅」市町村連絡会が発足されました。



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勝英農業共済事務組合議会

2014年02月19日 | 議会報告

平成26年2月12日 13:30~

勝英農業共済事務組合議会の26年度第1回定例議会が勝央町役場議場で開かれました。

付議案件

 議案第1号 平成26年度果樹共済無事戻しについて

 議案第2号 特別積立金取り崩しについて

 議案第3号 平成26年度賦課金総額及び賦課単価について

 議案第4号 平成25年度会計補正予算(第2号)について

 議案第5号 平成26年度事業会計予算について

議案毎に管理者説明を受けた後、質疑・答弁があり、その後挙手により採決を行いました。

全議案とも可決しました。

 

 


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