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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「ヒロシマ・ノート」 大江健三郎

2006-05-09 15:52:06 | 

無理やりに自分を納得させて、感動したかのような記憶が辛い。

初めて広島・長崎の原爆被害の恐ろしさを知ったのは小学校の頃だと思う。その後、ラジオの深夜放送で、DJの読み上げる原爆後遺症である白血病の患者予備軍の若者たちの投稿に心振るわせた。

その後、毛語録の読書会を通じて知り合った左派学生運動家の集まりに顔を出すようになり、そこで勧められたのがこの「ヒロシマノート」だった。

この本を読んで感動せねば人にあらず、そんな雰囲気に飲まれての読書だった。著者・大江健三郎の良心の発露と評された本書。でも、本当にそれほど感動的なのか。

当時は口に出せなかった疑問。原爆被害者たちの苦難の歴史に疑いはない。当時、感じた感傷は紛い物ではなかったはず。今も続く原爆症の苦しみを蔑む気持ちなどあるわけない。それなのに、再読しても納得できない。記録としての価値ならともかく、大江の主張に素直になれない自分。

年齢を積み重ねれば、当然に変わってくる価値観。あらゆるところに矛盾があり、それを糾そうとするものと、それを守ろうとするものとの相克。単純に割り切れない、この世のあり方に馴らされ、磨耗してゆく感性。

あ~、だから大江は読みたくないんだよね。思考が妙な方向へ彷徨いだす。どうせなら、悪意の発露のほうが理解し易い。過剰な善意の芳香は悪酔いを誘う。冷徹な現実の風に顔を当てて、頭を冷やそう。

コメント
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