会社というものは、大きく発展していく時は、支社支店を作り、子会社関連会社を広げていくものです。一方、会社が傾きかけると、支社支店を合併し閉鎖する。関連会社や子会社を整理して、本社直轄にしていく。これは会社に限らず、組織というものの本質的な行動なのでしょう。
長い間、対立関係にあった朝鮮総連と民団が手を結んだとの報を耳にした時、私は双方ともそこまで衰退したのかと思いました。かつては国内最強と言っていいほどの圧力団体であった、この二つの組織でしたが、年々活動は衰え構成員も減少の一途を辿っていました。ある意味、今回の和解は必然といっていい。
私が高校卒業まで暮らした街には、民団の居住区があり、中学校の隣には朝鮮学校があったため、在日朝鮮人とは良くも悪くも知り合う機会が多かった。小学校の時までは、けっこう一緒に遊んでいたのですが、中学入学とともにいきなり敵対関係に陥った。理由?さっぱり分からなかったけど、むこうが角材やチェーン振り回して襲いかかってくる以上、こっちもやり返さずにはいられない。
地元の警察に目をつけられていたので、そう頻繁に喧嘩していたわけではない。訳も分からず喧嘩している自分に、疑問を感じることはあっても、それを口外できる状況にないことぐらい私でも分かっていた。いつしか自然に距離をとるようになり、争うことも少なくなりましたが、その分陰湿な現実が待ち受けていた。
それは経済利権であったり、就職差別であったり、個人の力ではどうしようも出来ない構造的な対立の仕組み。私は十代の頃は、朝鮮総連なんて「やくざ」や「総会屋」「右翼」「過激派学生組織」と同じものだと思っていました。
今でこそ分かるのですが、彼等在日の人たちは強制連行されてきたわけでなく、半島から自らの意思で日本に来て生活している。半島の貧しさゆえもあるが、半島で差別を受けたがゆえでもある。私見ですが、朝鮮半島の人たちは極めて差別意識が強いように思います。同じ朝鮮半島といっても、済州島はどうも差別されているようですし、日本で生まれた事実は極めて不利に働くらしい。
そんな半島出身者を、受入はしたものの決して平等には扱わなかったのは我々日本人。生きていくために、少数者は団結せざる得ず、その結果が朝鮮総連であり、民団だった。双方がお互いに追い込んで、差別が恒常化していた。
団結心が強く、なかなか日本社会に溶け込まない在日の人たちも、世代を重ねるにつれ変質していく。日本人にも韓国人・朝鮮人にもなりきれない在日の現実が、新たな方向性を生み出しつつある。理想と現実の狭間で、矛盾と相克に悩み、未来の幸せを求めて日々努力を重ねる在日の人たち。
現在、文学や芸術の分野で優れた在日の作家、映画監督などが輩出されているのも、このような時代背景と無縁ではありません。人口が高齢化し、子供が減っていく将来の日本にとって、彼等在日の人材は有益な存在になりうる可能性を秘めています。
私は、国際交流が進み、相互理解が深まれば差別はなくなる、などという理想論は信じていません。むしろお互いの文化の違いから、紛争が多く起こるのが現実でしょう。それでも、今後停滞した社会を迎えつつある日本に、活気をもたらしてくれる余地は十分あると考えています。
長い間、対立関係にあった朝鮮総連と民団が手を結んだとの報を耳にした時、私は双方ともそこまで衰退したのかと思いました。かつては国内最強と言っていいほどの圧力団体であった、この二つの組織でしたが、年々活動は衰え構成員も減少の一途を辿っていました。ある意味、今回の和解は必然といっていい。
私が高校卒業まで暮らした街には、民団の居住区があり、中学校の隣には朝鮮学校があったため、在日朝鮮人とは良くも悪くも知り合う機会が多かった。小学校の時までは、けっこう一緒に遊んでいたのですが、中学入学とともにいきなり敵対関係に陥った。理由?さっぱり分からなかったけど、むこうが角材やチェーン振り回して襲いかかってくる以上、こっちもやり返さずにはいられない。
地元の警察に目をつけられていたので、そう頻繁に喧嘩していたわけではない。訳も分からず喧嘩している自分に、疑問を感じることはあっても、それを口外できる状況にないことぐらい私でも分かっていた。いつしか自然に距離をとるようになり、争うことも少なくなりましたが、その分陰湿な現実が待ち受けていた。
それは経済利権であったり、就職差別であったり、個人の力ではどうしようも出来ない構造的な対立の仕組み。私は十代の頃は、朝鮮総連なんて「やくざ」や「総会屋」「右翼」「過激派学生組織」と同じものだと思っていました。
今でこそ分かるのですが、彼等在日の人たちは強制連行されてきたわけでなく、半島から自らの意思で日本に来て生活している。半島の貧しさゆえもあるが、半島で差別を受けたがゆえでもある。私見ですが、朝鮮半島の人たちは極めて差別意識が強いように思います。同じ朝鮮半島といっても、済州島はどうも差別されているようですし、日本で生まれた事実は極めて不利に働くらしい。
そんな半島出身者を、受入はしたものの決して平等には扱わなかったのは我々日本人。生きていくために、少数者は団結せざる得ず、その結果が朝鮮総連であり、民団だった。双方がお互いに追い込んで、差別が恒常化していた。
団結心が強く、なかなか日本社会に溶け込まない在日の人たちも、世代を重ねるにつれ変質していく。日本人にも韓国人・朝鮮人にもなりきれない在日の現実が、新たな方向性を生み出しつつある。理想と現実の狭間で、矛盾と相克に悩み、未来の幸せを求めて日々努力を重ねる在日の人たち。
現在、文学や芸術の分野で優れた在日の作家、映画監督などが輩出されているのも、このような時代背景と無縁ではありません。人口が高齢化し、子供が減っていく将来の日本にとって、彼等在日の人材は有益な存在になりうる可能性を秘めています。
私は、国際交流が進み、相互理解が深まれば差別はなくなる、などという理想論は信じていません。むしろお互いの文化の違いから、紛争が多く起こるのが現実でしょう。それでも、今後停滞した社会を迎えつつある日本に、活気をもたらしてくれる余地は十分あると考えています。