ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「針の目」 ケン・フォレット

2006-05-26 17:13:25 | 
多分、私は凄く臆病なのだと思う。

丁度二十年前だった。身体が重く、足が以上に太くなり、朝のジョギングが真直ぐ走れない。とりあえず出社して、すぐ病院に行くと、即刻入院しかも実家近くを指示され、慌しく入院、ただし一晩だけ。翌日には大学病院へ搬送されていた。

太ったのではなく、異常に浮腫んでいたため、透析室に入れられ、身体にカテーテルを差し込まれ、寝たきりで過ごした日々。

本当は知っていた。大学時代、日赤の救急医療の講習を受け、学内の遭難対策委員長を努めた私が知らないはずはない。知識はあった、でも心が思い出すことを拒否していた。治療法は確立しておらず、対処療法であること。治る保証がないことや、莫大な医療費がかかるかもしれないことだって、学生時代学んでいた。でも、思い出さなかった。

意識が混濁していた時はいざ知らず、一日中寝たきりであったがゆえに考える時間はいくらでもあった。病気について考えるのが嫌だったので、日がな一日読書漬け。手で持たなくても本が読める器具があったので、それを使って読んでいた。(さすがに頁めくりは自分でやるがね)

沢山読んだが、一番苦しかった時に読んでいたのが表題の本。ありがたかった。夢中になって読める本だった。深夜の透析室での緊急透析中も本を手放さなかった。今置かれている状況を正しく認識する辛さから逃避したいが故の読書だった。

入院して一週間ほど過ぎた真夜中だった。ここ数日泊り込みで無精ひげが目立つ若い主治医が、息を切らせて病室へ飛び込んできた。検査データを片手に「もう大丈夫、助かるから!。よく頑張ったね」凄く嬉しそうだった。私は呆然と「そりゃ、どうも・・・」と間抜けな返事をしていた。

知りたくなかったのに、ついに分かっちまった。やっぱり危なかったんだな、私。そりゃそうだ、死亡率7割近い(山岳事故の場合)はずだもの。急に怖くなった。逃げ出せるものなら、逃げ出したかった。衰弱して寝返りすら一人では出来ないくせにね。

動くことの出来ない身で、一人深夜の病室で自分の死を考えていた。もう本を読む必要はなかった。ただ、ただ考えていた、自分がこのままベットの上で死んでいくことをね。翌朝には胃潰瘍になっていましたよ。なんとストレスに弱い私。

後日談ですが、若い主治医の方、後で婦長さんから叱られたらしい。ホント良く頑張ってくれたので、私としては恨みはありませんが、世の中黙っていた方が良い事、話すべきタイミングってあるわな。

ところで、表題の本ですが、もしかしたらツマラナイ本を無理やり夢中になって読んでいたのでは、との疑いがあったのですが、再読して一安心。やはり、ケン・フォレットは面白い。運が良かったのだな、私。
コメント (4)
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