幼少時、博徒の親分の屋敷に出入りしていた。
母子家庭で、貧乏だったゆえに庭聡怩フお手伝いをして、小遣い稼ぎをしていた。小遣いとしては、ほんの僅かだったが、そこでおすそ分けで貰える高級菓子が何より嬉しかった。
普通、我が家のような貧乏家庭の子供は、新聞配達などをするのだろうが、何故か私はやらなかった。朝は母のそばで朝食作りの手伝いをしていたし、夕方は妹と手分けして洗濯や掃除に勤しんでいたからでもある。
子供の頃から変な小遣い稼ぎは、いろいろやっていた。米軍基地に入り込んで、空薬莢を拾ってきて、くず鉄屋に売ることを覚えたのは5歳の頃だった。大人の日本人には厳しいMPも、子供にゃ甘いものだった。
世の中、危ない仕事ほど金になると知った。しかし長じるにつれ、危ないことは他の誰かにやらせて、その上がりで稼ぐほうが儲けが大きいことも気がついた。ただし、簡単にはさせてくれない。元締めは、なにより新規参入を嫌う。下手に欲を出せば、恐ろしいことになることを知ったのは中学に入った年の夏だった。
その頃は、お祭りがあると並ぶ夜店のお手伝いをしていた。お面屋の店番をすることが多かった。祭りが始まる前から荷物の見張りをし、店番から片付けまで夜遅くまで働いた。
とある神社での夏祭りだった。いつものように店番をしていると、なんとなく雰囲気が怪しいことに気がついた。兄貴分たちが、妙にそわそわしている。その夜も遅く、店の片づけを終えて帰ろうとしていると、怖い顔をした地回りの顔役たちに呼ばれた。神社の裏手の駐車場に人が集まっている。
木の柱の破片や、引き裂かれた布や道具が散乱していた。どうやらひと悶着あったらしい。「坊主ども、ちょっと来い」と呼ばれ、植木の奥に呼び込まれた。薄暗い木々の下に行くと、大人たちが殺気立っているのが感じられ、こちらも緊張してきた。
木の枝から人が吊られていた。
赤らんだ顔から湯気のように殺気が漂う男性が、「坊主ども、こいつを知っているか?」と唸るような口調で問い質してきた。分るも何も、人の顔とは思えない肉の塊だった。どれだけ殴ったら、これほどまでに人の顔が変形するのか知らないが、知っている人だとしても分るはずがなかった。
すぐに私らは帰された。どうやら、許可なしに出店を開いたバカがいたらしい。神社の境内から少し離れた空き地で、勝手に商売をやったのだろう。すぐに見つかり、リンチとなったようだ。大人の世界の怖い現実を見せ付けられたわけだ。ただし素人ではない。多分、追放された元・同業者っぽいことが先輩たちの口調から伺われた。
白状すると、リンチを悪いことだとは思わなかった。むしろ、縄張り荒しに対しての憤りのほうが強かった。兄貴分をはじめ若い衆は、皆そうだったと思う。だが手を出すことは禁じられた。
意外だったのは、そのリンチを仕切ったのが、普段は物静かで強そうには見えない人だったことだ。体が大きく、喧嘩も強そうな人は他にもいたが、その場を冷静にさばいていたのは、その物静かな男性だった。頭の切れる人だったようだが、何よりその冷静沈着さが怖かった。
大声を上げるでもなく、暴力を無闇に振るうでもない。でも、その落ち着いた声の底に、背筋が凍るような冷酷さを感じた。縄張り荒らしに憤る私ら若い衆は、この人の怖さにビビリ、その場を退散した。少し大人の世界に踏み込んだ気がした夜だった。
その後、私は高校進学を目指すこととなり、もうテキヤの仕事を手伝うことはしなくなった。仕事の手伝いを断りに行った時、兄貴分のそばには、あの男性がいた。最後に一言だけ声をかけられた。
「もう、戻って来るなよ。」と。
私は怖くて、その目を見れず、下向いたまま返事して、立ち去った。
たまに夏祭りの屋台で、知った顔を見ることがあった。懐かしい想いもあり、声をかけて挨拶したいが我慢した。言い付けを守り、目を伏せて挨拶するだけに済ませた。少し用心し過ぎとも思うが、あの冷たい声が思い出されて、それが歯止めになっていた。多分、感謝すべきなのだと思う。
表題の本の主人公は、いわゆるインテリやくざだ。強面のヤクザたちからも畏怖される冷静沈着な凶漢だ。誰がモデルかは知らないが、たしかにこのタイプは怖いと思う。でも、怖い人の笑顔って、すごく魅力的だから困る。その笑顔が見たくて頑張ってしまう。いいように使われてしまう、だから怖い。
近寄らないのが一番だと思う。
母子家庭で、貧乏だったゆえに庭聡怩フお手伝いをして、小遣い稼ぎをしていた。小遣いとしては、ほんの僅かだったが、そこでおすそ分けで貰える高級菓子が何より嬉しかった。
普通、我が家のような貧乏家庭の子供は、新聞配達などをするのだろうが、何故か私はやらなかった。朝は母のそばで朝食作りの手伝いをしていたし、夕方は妹と手分けして洗濯や掃除に勤しんでいたからでもある。
子供の頃から変な小遣い稼ぎは、いろいろやっていた。米軍基地に入り込んで、空薬莢を拾ってきて、くず鉄屋に売ることを覚えたのは5歳の頃だった。大人の日本人には厳しいMPも、子供にゃ甘いものだった。
世の中、危ない仕事ほど金になると知った。しかし長じるにつれ、危ないことは他の誰かにやらせて、その上がりで稼ぐほうが儲けが大きいことも気がついた。ただし、簡単にはさせてくれない。元締めは、なにより新規参入を嫌う。下手に欲を出せば、恐ろしいことになることを知ったのは中学に入った年の夏だった。
その頃は、お祭りがあると並ぶ夜店のお手伝いをしていた。お面屋の店番をすることが多かった。祭りが始まる前から荷物の見張りをし、店番から片付けまで夜遅くまで働いた。
とある神社での夏祭りだった。いつものように店番をしていると、なんとなく雰囲気が怪しいことに気がついた。兄貴分たちが、妙にそわそわしている。その夜も遅く、店の片づけを終えて帰ろうとしていると、怖い顔をした地回りの顔役たちに呼ばれた。神社の裏手の駐車場に人が集まっている。
木の柱の破片や、引き裂かれた布や道具が散乱していた。どうやらひと悶着あったらしい。「坊主ども、ちょっと来い」と呼ばれ、植木の奥に呼び込まれた。薄暗い木々の下に行くと、大人たちが殺気立っているのが感じられ、こちらも緊張してきた。
木の枝から人が吊られていた。
赤らんだ顔から湯気のように殺気が漂う男性が、「坊主ども、こいつを知っているか?」と唸るような口調で問い質してきた。分るも何も、人の顔とは思えない肉の塊だった。どれだけ殴ったら、これほどまでに人の顔が変形するのか知らないが、知っている人だとしても分るはずがなかった。
すぐに私らは帰された。どうやら、許可なしに出店を開いたバカがいたらしい。神社の境内から少し離れた空き地で、勝手に商売をやったのだろう。すぐに見つかり、リンチとなったようだ。大人の世界の怖い現実を見せ付けられたわけだ。ただし素人ではない。多分、追放された元・同業者っぽいことが先輩たちの口調から伺われた。
白状すると、リンチを悪いことだとは思わなかった。むしろ、縄張り荒しに対しての憤りのほうが強かった。兄貴分をはじめ若い衆は、皆そうだったと思う。だが手を出すことは禁じられた。
意外だったのは、そのリンチを仕切ったのが、普段は物静かで強そうには見えない人だったことだ。体が大きく、喧嘩も強そうな人は他にもいたが、その場を冷静にさばいていたのは、その物静かな男性だった。頭の切れる人だったようだが、何よりその冷静沈着さが怖かった。
大声を上げるでもなく、暴力を無闇に振るうでもない。でも、その落ち着いた声の底に、背筋が凍るような冷酷さを感じた。縄張り荒らしに憤る私ら若い衆は、この人の怖さにビビリ、その場を退散した。少し大人の世界に踏み込んだ気がした夜だった。
その後、私は高校進学を目指すこととなり、もうテキヤの仕事を手伝うことはしなくなった。仕事の手伝いを断りに行った時、兄貴分のそばには、あの男性がいた。最後に一言だけ声をかけられた。
「もう、戻って来るなよ。」と。
私は怖くて、その目を見れず、下向いたまま返事して、立ち去った。
たまに夏祭りの屋台で、知った顔を見ることがあった。懐かしい想いもあり、声をかけて挨拶したいが我慢した。言い付けを守り、目を伏せて挨拶するだけに済ませた。少し用心し過ぎとも思うが、あの冷たい声が思い出されて、それが歯止めになっていた。多分、感謝すべきなのだと思う。
表題の本の主人公は、いわゆるインテリやくざだ。強面のヤクザたちからも畏怖される冷静沈着な凶漢だ。誰がモデルかは知らないが、たしかにこのタイプは怖いと思う。でも、怖い人の笑顔って、すごく魅力的だから困る。その笑顔が見たくて頑張ってしまう。いいように使われてしまう、だから怖い。
近寄らないのが一番だと思う。