ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「桃尻娘」 橋本治

2008-07-28 12:01:28 | 
夏の空は、いつだって蒼くて眩しいものだった。そしてその眩しさに目がくらみ、間違いをしでかしたこともある。

十代の頃は、山に海に遊びまわっていた。山は縦走登山か沢登り、海は遊び・・・ではなく、民宿の手伝いの合間に遊んでいた。伊豆の片隅にある、小さな浜の一角にある民宿だった。

初めて行ったのは小学生の頃だった。母子家庭だった私は、なぜかその宿の親父さんに可愛がれ、中学生の頃からお盆の時期の、民宿の繁忙期に手伝いに行くようになっていた。

浜の朝は早い。朝食の炊き出しの手伝いに始まり、海の家への荷出し、部屋や風呂の聡怩ニ日中は休む暇もない忙しさ。それでも時折休みを貰って、いそいそと磯遊びに行ったものだ。

そのうち、海の家の泊まり番もやるようになった。地元の青年たちと一緒で、毎年忙しい時期にやってくる私も、便利な助っ人として受け入れられていた。大半が未成年だったが、酒やタバコはもちろん、いろいろな遊びを教えてもらったものだ。

あれは大学一年の夏だ。お盆の繁忙期を終え、そろそろ涼しい風が吹き、クラゲが流れ込む夏の終わりを予感させた日の夜だった。その日の夜は、地元の青年と一緒に泊まり番だった。海の家に行くと、なぜか女性が一緒に居た。嫌な予感・・・

案の定、お前俺の車の中で寝ろと言い渡された。逆らっても仕方ないので、駐車場に停めてあった車のキーを預かり、そこで夜を過ごすことになった。

寝つきのいい私が、車のシートを唐オて、一人健やかに眠っていると、深夜いきなり起こされた。件の青年が女性を連れて、車外に立っていた。ドアを開けると、いきなり「急用が出来たから、早退する。後を頼んだぞ」と言いたれた。なんなんだ?

致し方なく、車を降りて、呆然と深夜の駐車場に立ちすくんだ。女性が泣いていたように見えたが、事情はさっぱり分らない。この青年、普段はとっても面倒見の良い、頼りになる兄貴分なんだが、こんな日もあるのだろう。海の家に戻ると、いささか散らかっている。ため息ついて、片づけをして、改めて再度寝入る。

ところが、一時間もしないうちに誰かが入り口を叩く。青年が戻ってきたのかと思い、開けてビックリ。さっきの女性が一人で立っている。忘れ物ですか?と問うと、何も言わず、いきなり座り込まれた。

とりあえず、奥に上がってもらい、長々と愚痴を聞かされる羽目になった。どうやら、さっきの青年は夏休み明けに東京へ出るらしい。一緒に行くか、どうするかの話だったようだ。

白状すると、話の内容は途中からさっぱり覚えていない。話しながら女性の目が潤んできて、身体を密接させてきたあたりから、なにがなんだか、なぜにこうなったのか分らない。まあ、私も心身ともに元気な若者でしたから、仕方ないですね。

問題はその後だ。その女性との関係は、その夜一回だけなのだが、私はいささか焦っていた。ばれたら、半殺し間違いなしだもの。ところがその年の冬に、この二人が結婚したと教えられてビックリ。しっかり二人とも地元に残って、新婚生活を満喫していると聞かされた。その青年にはバレてないと思うが、それでも気まずい。なにせ、彼は地元の青年のリーダー格なのだ。私も世話になっていた人でもあるので、殊更気まずい。

翌年の夏は、車の合宿免許があったため、浜の民宿のバイトは断った。気まずくて、行きずらかったが本音だ。そうこうしているうちに、民宿のおやじさんが急死されて、民宿も廃業となった。以来、私は足を運んでいない。

表題の本は、学園紛争が終結して虚脱状態の若者たちのなかで、いち早く立ち直り、享楽的な生き方を選んだ若い女性たちを描いている。けっこう話題になり、日活で映画化もされた。その主演女優(竹田かほり)に似た雰囲気の女性であったため、この本を読むと、あの夜のことが思い出されて仕方ない。私も思慮足らずだとは思うが、女性がかもし出す怪しい魅力に負けたのも事実。

世間を狭くしてしまった私の短慮が、いささか口惜しい。好きな海浜だっただけに残念だ。
コメント
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