善意だけでは変らない。
幕末に近代化された欧米の軍事力の威力を知った日本人は、明治維新後に急速に軍事力の近代化を図った。そのために幾つかの分野に集中して近代化を図り、19世紀末には強大な軍事力を保持するに至った。結果、世界の五大国の一員にもなり、世界史上に残る実績を挙げることに成功した。
しかし、そのための代償は大きかった。資本、人材などを一部の分野(軍事産業)に集中したため、政府と密着した巨大財閥を育て上げた。当然に農業や中小零細企業は、割を食い脆弱なものとならざるえなかった。
そこを世界恐慌が襲い、日本もまた凄まじい経済不況に襲われた。この暗闇から抜け出す手段が海外で一旗揚げることであった。ハワイ、アメリカ、ブラジルへと移民が相次いだ。植民地である台湾、朝鮮、そして満州へも移民は広がった。海外こそ再生の夢を実現できる希望の地であった。
だが、満州は治安定まらず、軍による保護が必要であった。移民も、また日本国内の貧しき庶民も、軍により保護を当然のものと考えた。必然的に満州では、反日運動が起る。これは当たり前のことだが、シナの大陸を狙っていたのは日本だけではない。アメリカもまた市場としてのシナを狙っていた。太平洋戦争の芽は、ここで育まれた。
私に言わせれば日本人の大陸進出は、内政の失敗(偏った産業政策)を外交(海外移民)で補おうとした結果の戦争であり、そこにこそ反省すべき点がある。
本当に海外移民しか、不況の解決策はなかったのか。私はあったと思う。ヒントはアメリカにある。当時のアメリカでは、独占企業の弊害を憂いての独占禁止法やカルテル禁止を謳った法規制が、議会で議論され一部は実施されていた。日本の内務省などの官僚たちは、そのことを知っていたし、既に議論の対象としていたと聞く。
日本の場合、明治政府の元勲たちと密接な関係にある財閥や、その利権に喰らいついている華族や地方の大物たちが、利益を一方的に貪っていた。ここにこそ、規制緩和や独禁法などの法治による改善策の導入の余地があった。
事実、明治末からの段階的な普通選挙導入が、その方向性を示していた。しかし、利権にしがみ付く既成権力者の団結は固く、独禁法でさえ議会に上げることは困難であった。不況はむしろ財閥の独占支配を強化した。
困難な理由は他にもあった。それがマルクス主義や社会主義を掲げた左派政治家たちであった。彼らの多くは間違いなく善人だ。極度に貧しい環境に置かれた人たちを助けようとの想いに焦がれ、不平等がまかりとおる社会を変えようとの熱い情熱を抱いていたことは確かだ。
ただ、自らの正しさと善意を盲信していたがゆえに妥協が出来なかった。その主義、主張に固執していたがゆえに他の政党と力を合わせることが出来なかった。むしろ反国家的だと警戒される有様だった。
独善は孤立を招く。もし、この左派政治家たちも独禁法や規制緩和などの構造改革に協力していたのなら、日本人の海外進出とその結果としての戦争は防げたかもしれない。かすかな可能性だとは思うが、やってみる価値はあった。
当時の日本国内の産業の脆弱さを思えば、それは空理空論であった可能性は高いことは承知している。だとしても、これらの左派政治家たちの妥協無き独善的な行為は、日本を戦争から回避させることにはならなかったのも事実だ。
表題の本は、はっきり言えば左派イデオロギーを掲げる政党の宣伝として使われた本だ。ワーキング・プアと呼ばれる今の若者たちの関心を集め、現在けっこう売れているらしい。別にウソが書いてあるわけでもないので反対はしない。過酷な環境に置かれた人たちに、我が身を重ねて共感するのも、分らないではない。
ただ、これだけは言っておきたい。日の丸、君が代を否定したって戦争は起る。戦争を否定したって、戦争はやってくる。善意あふれる左派政治家たちの活動は、今も昔も戦争を防ぎはしなかった。
私は善意を否定しないが、善意だけでは世の中変らないと思う。
幕末に近代化された欧米の軍事力の威力を知った日本人は、明治維新後に急速に軍事力の近代化を図った。そのために幾つかの分野に集中して近代化を図り、19世紀末には強大な軍事力を保持するに至った。結果、世界の五大国の一員にもなり、世界史上に残る実績を挙げることに成功した。
しかし、そのための代償は大きかった。資本、人材などを一部の分野(軍事産業)に集中したため、政府と密着した巨大財閥を育て上げた。当然に農業や中小零細企業は、割を食い脆弱なものとならざるえなかった。
そこを世界恐慌が襲い、日本もまた凄まじい経済不況に襲われた。この暗闇から抜け出す手段が海外で一旗揚げることであった。ハワイ、アメリカ、ブラジルへと移民が相次いだ。植民地である台湾、朝鮮、そして満州へも移民は広がった。海外こそ再生の夢を実現できる希望の地であった。
だが、満州は治安定まらず、軍による保護が必要であった。移民も、また日本国内の貧しき庶民も、軍により保護を当然のものと考えた。必然的に満州では、反日運動が起る。これは当たり前のことだが、シナの大陸を狙っていたのは日本だけではない。アメリカもまた市場としてのシナを狙っていた。太平洋戦争の芽は、ここで育まれた。
私に言わせれば日本人の大陸進出は、内政の失敗(偏った産業政策)を外交(海外移民)で補おうとした結果の戦争であり、そこにこそ反省すべき点がある。
本当に海外移民しか、不況の解決策はなかったのか。私はあったと思う。ヒントはアメリカにある。当時のアメリカでは、独占企業の弊害を憂いての独占禁止法やカルテル禁止を謳った法規制が、議会で議論され一部は実施されていた。日本の内務省などの官僚たちは、そのことを知っていたし、既に議論の対象としていたと聞く。
日本の場合、明治政府の元勲たちと密接な関係にある財閥や、その利権に喰らいついている華族や地方の大物たちが、利益を一方的に貪っていた。ここにこそ、規制緩和や独禁法などの法治による改善策の導入の余地があった。
事実、明治末からの段階的な普通選挙導入が、その方向性を示していた。しかし、利権にしがみ付く既成権力者の団結は固く、独禁法でさえ議会に上げることは困難であった。不況はむしろ財閥の独占支配を強化した。
困難な理由は他にもあった。それがマルクス主義や社会主義を掲げた左派政治家たちであった。彼らの多くは間違いなく善人だ。極度に貧しい環境に置かれた人たちを助けようとの想いに焦がれ、不平等がまかりとおる社会を変えようとの熱い情熱を抱いていたことは確かだ。
ただ、自らの正しさと善意を盲信していたがゆえに妥協が出来なかった。その主義、主張に固執していたがゆえに他の政党と力を合わせることが出来なかった。むしろ反国家的だと警戒される有様だった。
独善は孤立を招く。もし、この左派政治家たちも独禁法や規制緩和などの構造改革に協力していたのなら、日本人の海外進出とその結果としての戦争は防げたかもしれない。かすかな可能性だとは思うが、やってみる価値はあった。
当時の日本国内の産業の脆弱さを思えば、それは空理空論であった可能性は高いことは承知している。だとしても、これらの左派政治家たちの妥協無き独善的な行為は、日本を戦争から回避させることにはならなかったのも事実だ。
表題の本は、はっきり言えば左派イデオロギーを掲げる政党の宣伝として使われた本だ。ワーキング・プアと呼ばれる今の若者たちの関心を集め、現在けっこう売れているらしい。別にウソが書いてあるわけでもないので反対はしない。過酷な環境に置かれた人たちに、我が身を重ねて共感するのも、分らないではない。
ただ、これだけは言っておきたい。日の丸、君が代を否定したって戦争は起る。戦争を否定したって、戦争はやってくる。善意あふれる左派政治家たちの活動は、今も昔も戦争を防ぎはしなかった。
私は善意を否定しないが、善意だけでは世の中変らないと思う。