ヌマンタの書斎

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名波浩の引退

2008-12-11 12:40:40 | スポーツ
日本が初めてワールド・カップへと出場を決めたフランス大会の中心選手であった、ジュピロ磐田の名波浩が引退を公表した。

天才肌の選手だったと思う。裏番長のあだ名通り、チームを陰で牽引する選手でもあった。左利きの名手で、そのアウトサイド・キックは魔法のスティック。なぜ、あの蹴り方で、あのボールになるのか不思議で仕方なかった。スローで再生しても分らない。

素人にも分りやすい中田英や俊輔、小野らとは異なり、サッカーに詳しい人の評価が高かった選手でもあった。なにより同じピッチに立ったサッカー選手からの評価が高かった玄人好みの選手だったと思う。

強烈なプライドの持ち主で、トルシェエに反発して代表を干された。しかし、レバノンでのアジア杯で実力を見せつけ、大会MVPはお前だとトルシェエに言わしめた反骨の持ち主。

ジュピロ磐田では、ピッチ上の鬼軍曹ドゥンガが怒鳴りまくっていて、他の選手は萎縮するなか平然とソッポ向いた姿が忘れ難い。ロマーリオやベッペットが頭を抱えるドゥンガの怒鳴りさえ無視するプライドの高さに呆れたものだ。

そのプライドは抜群のテクニックと戦術眼に裏づけされたもので、ジュピロでも日本代表でも、常にチームの中核を担った。ただ、前面に出るよりも、裏から仕切ることを好む性向が、イタリアでは通じなかたがゆえに、海外では成功できなかった。

私が忘れ難いのは、ジョホールバルでのイラン戦後歓喜を爆発させる姿と、フランス大会の直後、ブラジルとの親善試合での呆然とした姿だった。

ワールドカップ初出場を決めて、日頃クールな名波が喜びを全身で表わした姿には驚かされた。しかし、日本チームの弱点、すなわち追い詰められると名波にボールを預ける癖を知っていたブラジルに、徹底的にマークされて5失点の起点とされて、プライドをボロボロにされた姿がなにより忘れ難い。

世界と戦い、世界との差を誰よりも痛感させられた選手、それが名波だと思う。多分、いやきっと彼は指導者として復活すると思う。彼が育てた選手が、やがて世界の第一線に飛び出す日が必ず来ると、私は信じています。
コメント (2)
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