ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「稼ぐが勝ち」 堀江貴文

2008-12-01 12:20:58 | 
なにを今更と言われそうだが、ほぼ有罪(公判中だが)になりそうな今だからこそ読んでおきたい。

今でこそ粉飾決算をして投資家を騙したインチキ経営者との評を免れ得ないが、この本が出た頃は、飛ぶ鳥落とす勢いであったことは誰もが覚えていると思う。

私自身、近鉄買収の頃までは気鋭の新進経営者として評価していました。ただ、TBS(コメント欄参照のこと)を巡るニッポン放送株の時間外取引という、法の抜け道を誇らしげに語る頃から危ないと思っていた。

この人、まるで国家権力の浮ウを知らない。IT時代に対応できない古い世代を罵る有様に、世間知らずというか、人としての底の浅さを感じていました。

表題の本を読んで、まさしく見識の浅さを確認できました。ただ、いくつか傾聴に値する意見もあり、それを実行した実績は偉いと思う。見識が浅いと批難しましたが、その浅さが素早い判断、行動に結びついていたことも確かであり、一概には否定しがたいものを感じたものです。

後智恵で批難するのは、やはりあまり気持ちいいものではないので、このあたりで止めますが、一点だけ指摘したい。

戦後の日本の特徴は、経済に集中してきたことだと思いますが、その弊害が現われたのがライブドア事件ではないでしょうか。経済は社会を支える重要な要素ですが、これだけでは社会は成り立たない。社会を安定させる力あってこそ、経済活動は安心して出来る。

この安定させる力は、対外的には軍事力であり、国内的には法治の確立と警察力による治安です。堀江氏は、このあたりの認識が浅いというか甘い。いや、堀江氏に限らず戦後の日本人共通の歪んだ認識だと思う。

古来より、商人たちは様々な障害にぶつかってきたものです。盗賊、詐欺師、そして役人の横暴。自由な商業活動なんて、夢のまた夢。だからこそ、権力者たちに擦寄り、媚び売り、贈賄をはたき身の保証を計るのが商人の慣わしでした。

近代に入り、法治による商業活動の安定は、その国を大いに栄えさせましたが、だからといって商人が一番偉いわけではない。近代国家による商業活動の保護政策あっての商人である現実は、今も変りのない事実です。

イギリスの哲学者ホッブスは、近代国家を論じた著作に「リバイアサン」のタイトルを付けました。このリバイアサンとは、伝説上の海の怪物で増殖する首を持つ、貪欲な不死身のモンスターでした。近代国家というものの本質を書き記した本のタイトルには、この怪物の名こそ相応しいと思ったのでしょう。堀江氏は、このリバイアサンの恐ろしさを知らなかった。

堀江氏は、逮捕前、広島選挙区に自民党候補として立候補などして、急激に政治権力に接近を図りましたが、時既に遅く、その後に逮捕される憂き目に遇いました。

金儲け、すなわち経済活動なんてものは、強欲な権力者に見下ろされて踊るダンスであることは、古来よりの普遍的な事実であって、決して好き勝手が許されるものではないのです。
コメント (5)
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