ヌマンタの書斎

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土地の評価方法 その五

2011-08-18 12:24:00 | 経済・金融・税制
4回にわたって書いてきた土地の評価方法についてですが、今日が最後です。

この土地の公的な評価が問題になった原点は、公示価格の急上昇が行われた昭和50年代だと、私は考えています。それ以前は、公的な評価額(固定資産税評価額、路線価)は実勢価額に比して著しく低かったので、評価方法に欠陥があっても、それを問題視する納税者はいなかった。

ところが、公示価格の急騰に伴い、路線価及び固定資産税評価額までもが実勢価格に近づいてしまったことで、評価方法の欠陥が露呈してしまった。

正直言えば、土地の評価について、全国画一的な評価をすることは、いささか無理がある。それでも8割がたは適正だと、私は考えています。問題は、画一的な評価が難しく、個別に判断すべき案件までもに画一的な評価を強要したことです。

ただ、すべての土地について個別評価は、行政の側では対応できない。それだけの人員も予算もないのが実情です。そうなると、やはり問題の根源は、公的な評価を実勢価格に近づけてしまったことだと思うのです。

公示価格は、消費者が土地を売り買いする際の目安になることを目標にしているから、実勢価格に限りなく近くても良いのです。

しかし、土地を保有することにかかる税金は、同じ基準である必要はない。そもそも、その土地に住み続けている、ありは商売をしている人たちにとって、自分が住む地域の土地の売買相場が上昇することは、基本的に意味が無い。

もし、土地を売りたいと思ったら、その売買益には所得税がかかるのだけであり、そこに住み続ける、あるいは商売を続ける人たちには、土地の売買相場が上がることは、別世界の出来事。

ところが、そこに一つのものに二つの評価額が付くのはおかしいと考えてしまった勉強は出来るが、頭の良くないエリートがいた。公的な評価額を上げれば、固定資産税の税収は増えるし、相続税の税収も上がる。それが高すぎれば、売ればいいだけだと安直に考えたバカがいた。

このバカ、税の基本が分っていない。儲けに対する税金と、所有に対する税金が同じ基準であっていいわけがない。国家権力にとって、税金は大切な収入ではあるが、高すぎればむしろ国家を危うくする。

だから古来より権力者は、生かさぬよう殺さぬよう、ほどほどに税金をかけてきた。相続破産などを産みだすような税金は、あきらかに政策ミスなのです。

つまり一物二価、ひとつのものに二つ以上の価格がついても良いのです。

そうして、実勢価額よりも大幅に低い公的評価額にしておけば、評価方法の欠陥など目を潰れる程度の問題になります。そもそも、いろんなケースがあふれている土地の評価を、すべて画一的にすること自体、無理があるのです。

政治とは、四角い枠のなかを丸くすくい上げる程度で良いのです。枠の隅が残ってしまいますが、そのくらいの残りがあるほうが、世の中うまくまわるもの。

完全ならざる人間が、完璧をやろうとすること自体、無理なのです。
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