「歓迎 日本サッカー・ファン倶楽部ご一行様」
箱根の旅館に着いて、バスを降り立った小松左京らSF作家らが目にした立て看板が、当時の日本社会の常識を反映していた。これほどまでに、SF(サイエンス・フィクション)は知られていなかった。
実のところ、戦前は空想科学小説と呼ばれており、青少年向けというか子供向けの娯楽小説だと思われていた。はっきり言えば、文壇界では低く見られていた。
そのあたりの事情は欧米も似たようなものだったが、レイ・ブラッドベリなど詩情豊かな文章を書く才人の登場や、キャンベルを初めてとして、SFの質の向上により子供向けから大人の鑑賞に堪えうる作品を世に出すことを強く推し進めた人たちの努力もあって、SFは今や立派なジャンルとされている。
ただ、一般的な知名度と認知度が上がったのは、やはりSF映画の人気爆発が寄与するところが大きい。「2001年宇宙の旅」は少々難解に過ぎたが、スピルバーグの「未知との遭遇」や「ジェラシック・パーク」らの登場は、SFを大人でも十分楽しめるものと認知させる一大転換点となったのは確かだ。
欧米に遅れつつも、日本でもSFの知名度向上を目指す動きはあった。その第一歩が日本SF協会の設立であり、その総会を開く場所でのハプニングが、冒頭での立て看板であった。
苦笑する福島氏(SFマガジン編集長)であったが、星新一や筒井康隆、そして小松左京らは「今にみていろ」とファイトを燃やしていた。後にSF三羽烏と呼ばれた若手作家のなかでも、一番エネルギッシュであったのが小松左京であった。
日本で、大人の鑑賞に堪えうるSF映画の原作となったのが、小松左京の「日本沈没」であった。小説に留まらず、映画、TVと様々な分野でSFの魅力を説いてまわった最大の功労者である。
表題の作品もまた小説としてヒットしただけでなく、映画でも成功したので知名度も高い。私は映画こそ観てないが、小説は何度も読んでいる。
TVでも映画でも、SFは当たり前のように使われ、小説の世界でもSFはジャンルを超えての常識となった。SFをサッカーファンだと間違えた話も、今や笑い話に過ぎない。
もはや、わざわざSFという冠を付ける必要さえなくなった。SFファンの私としては、少し寂しさを感じることもあるが、先週亡くなった小松左京ならば、これぞ本望と満足していることだと思う。