昨年の東日本大震災より一年半の月日が過ぎ去った。
ご存知のとおり、震災そのものよりも、その直後の津波により東北三県をはじめ多くの地域で凄まじい破壊が繰り広げられた。その映像は見るものを沈黙に追いやる凄まじさ。自然の脅威と、その破壊力の大きさを改めて痛感したものだ。
あまりの惨状に声を失い、呆然自失となり、なにをしたらよいか分からない。なにが出来るか分からない。そんな最中に立ち上がり、困難に立ち向かい、辛く厳しい被災地の救済と復興に立ち上がった姿にこそ、日本人の底力を感じたものだ。
同時に情けない本性を露わにした日本人も数多いる。怒鳴り散らすだけの首相とか、放射能怖さに自分の選挙区に近づかない大物政治家などがその典型だ。原子力行政の一翼を担う重要な役職につきながら「文系なので技術的なことはわからない」と逃げたエリート官僚には呆れてものが言えない。
行政府のトップが、揃いもそろって情けない醜態を曝したのとは対照的に、行政の末端の名も知らぬ地方公務員は、その職務に殉じた。自らの命を顧みずに緊急避難放送を続けた職員や、津波からの避難を先導して多くの市民を救いながら自らは津波に呑まれた警察官や消防団員。まさに日本の縮図ともいえる姿であった。
なかでも、多くの被災者たちから感謝を捧げられたのが、戦えない軍隊と揶揄される自衛隊の兵士たちだった。泥にまみれ、汗だくになり、悪臭がこびりつく街中に突入していき、被災者を救い、遺体を探し求める姿に感動した市民たちは数知れず。
だが、若く体力溢れつ自衛隊員にとっても遺体探しは辛い。絶望的な気持ちになりながらも、その姿に感銘を受けて見知らぬ被災者から感謝の手紙を受け取り、「自分はこの国の役に立てている」と感激の涙を流した若い自衛隊員たちの話には感動せざるえない。
実際多くの被災者やその活動をみた国民から、大いに評価を高めたのは確かなようで、自衛隊員も入隊して初めて誇りを抱けたと語るものもいた。また被災者やその家族から、自分も自衛隊に入りたいと言うものも出ていると聞く。
もともと軍隊というものは、緊急時にこそ役に立つものではあるが、これほどまでに評価が高まったことは近年珍しいと思う。
しかし、その一方で自衛隊が市民から評価を高めている状況に、苛立ちと悔しさを隠しきれずにいる者たちもいた。憲法9条絶対支持者であり、自称平和を愛する市民であり、自衛隊は違憲だと長年主張してきたお方々である。
彼らは自衛隊なんかがあるから、日本は再び戦争の危機に巻き込まれるに違いないと、確信をもって危機感を抱いてきた。憲法9条があれば、日本は永久に平和であると無邪気に信じ込んできた。
それだけに自衛隊が市民から評価されるなんて、あってはならない事だと確信している。それなのに、被災地救助に立ち向かった自衛隊の姿が、国民から絶賛されている。こんな危険なことはない。なんとしても、自衛隊に対する国民の評価を貶めなければならない。少なくても、これ以上国民の自衛隊に対する信頼が高まる事態だけは避けたい。
そんな平和を愛する想いが、緊急災害時における自衛隊と地方自治体との連携訓練を妨害する気持ちにさせたのだろう。大規模な災害時においては、地方自治体と自衛隊との連携があると、その救出活動に大いに貢献することは既に分かっている。
だからこそ、各自治体と自衛隊との共同訓練が積極的になされるようになった。ところが、これを邪魔するものたちがいる。自衛隊の災害出動時の制服である迷彩服で市役所で宿泊するなと妨害する。これ以上、戦争の危険をはらむ自衛隊と市民との連携なんぞ深めさせてなるものかとの強い意志で、市役所に苦情をねじ込んで、共同訓練の妨害を図った。
そんな苦情を受け入れた役所も役所だが、このいちゃもんをつけてくる奴らは、案外公務員が多く、また労働組合に属していることも多い。圧力団体としては、きわめて強烈なので窓口担当者が嫌々受け付けたのも分からないではない。
ところで、いったい地方自治体と自衛隊との共同訓練は誰のため?
災害出動時に、背広とネクタイ着用で出動しろとでもいうのか?
迷彩服を見ると、市民が怯える?
馬鹿も休み休み言ってほしいものだ。本当に怯えているのは、自分たちの長年の主張が無価値なものだとバレるのが怖い、あんたら平和愛好市民たちだろう。幸い自治体も訓練の重要性は認識しており、通信訓練などは無事行われたそうだ。結局、妨害は一部にとどまった。
一応言っておくと、彼ら平和愛好市民が震災に際して、ボランティアに積極的に参加したり、募金活動をしていることは私も知っている。でも、震災地の汚泥のなかで一番奮闘したのは、彼らが嫌う自衛隊の迷彩服を着た兵士たちだったのも事実だぞ。
馬鹿につける薬なし、とは良く言ったものだよ。