寝坊するのが好き。
嫌いな子供がいようか。いや、大人だって寝坊は好きなはずだ。毎日毎日、決まった時間に起きて家を出る。慣れ親しんだ行動ではあるが、快適な寝床にぬくぬくと、あるいはダラダラと安住できる幸せは、大人になった今でも十分満喫したい。
実を言えば、私は寝起きは良い方だ。目覚まし時計がなくても、だいたい6時半前後には自然と目が覚める。これは夜遊びばかりしていた20前後の時を除けば、おおむね私の生活習慣となって刻まれている。
ただ、素直に起きるわけでもない。高校生の頃なんざ、親が早朝に仕事に出ていることをいいことに、二度寝の怠惰を繰り返し、重役登校を繰り返す遅刻の常習犯であった。もっともクラスメイトたちは、私が朝からパチンコをやっていると思い込んでいたようだが、開店時に並んでパチンコするより、家でゴロゴロと二度寝の快楽にふけているほうが好きだった。
今だって週末のお楽しみは、やっぱり二度寝だと確信している。6時頃に起きてコーンフレークを食べて、そのあと薬を飲む。歯を磨いてさっぱりしたら、再び寝床に戻って、ぬくぬくと二度寝を楽しむ。
やっぱり私は怠け者だ。
そんな私だが、夏休みは案外と早起きすることが多かった。多分、ラジオ体操を思い浮かべた方もいるかと思う。たしかに小学生の頃は、早朝のラジオ体操に参加はしていたが、私の場合はもっと早い。
まだ薄暗いうちに家族に気づかれぬよう起きて、そっとドアを開けて外へ抜け出す。目指すは神社の境内のなかのクヌギの木だ。そう、察しのいい方なら分かると思うが、目的はカブトムシだ。
持っていくものは案外少なくて、虫かごと竿付きの捕獲網、それと双眼鏡だ。まず、目星をつけておいたクヌギの木を双眼鏡で詳しく観察する。明け方の薄暗い林の中だと、裸眼では見つけられない。木の下のほうの樹液が出ている場所は、ねらい目だけに既にライバルに取られていることが多い。
しかし、木の上のほうの樹液だと、あまりに高すぎて、いくらカブトムシがいても捕まえることは難しい。しかし私は知っていた。カブトムシは、明け方には地面の下に潜るので、木からノソノソと降りてくることを。
カブトムシは羽根があるので飛ぶことが出来るのだが、なぜか降りてくるときは飛ばずに、足で木を逆さに降りてくる。この降りてくるカブトムシをいかに早く見つけるかが勝負の分かれ目なのだ。そのための秘密兵器が双眼鏡だった。
元々は父が野球観戦のために買ったものなのだが、凝り性で良いものを買いたがる父は、解像度が高く、視野も明るい双眼鏡を持っていた。離婚したときに、家に置いたままであったので、ありがたく私が使っていた。使う目的は、もっぱらこのような虫取りであった。
薄暗い林の頭上を慎重に探ると、クヌギの木の20メートルほど上の樹液が出ている場所に虫の集団が見て取れた。焦点を合わせてよく観察すると、クワガタやコガネムシに交じって立派な角を生やしたカブトムシがいた。
まだ降りてくる気配がないので、他の木を探るがたいした獲物は見当たらない。そこで件の木の近くに戻って、腰を据えて様子を伺う。日が昇り出して、木の幹を照らし出した頃に、カブトムシが木の根に向かって降りてくるのを確認できた。
ここからが辛抱だ。じっと動かず、補虫網の竿は地面に置いたまま、ひたすら届く範囲まで降りてくるのを待つ。虫取りの竿は2メートルあまりで、思いっきり手を伸ばせば3メートル半ていどの高さなら届く。その高さまで、ひたすら動かずに待つ。
しだいに明るくなってくる林の中で、カブトムシに気が付かれぬ様、じっと動かずに待っていると、やがて竿が届きそうな高さまで降りてきた。すかさず、竿をかぶせて、ひったくるようにカブトムシを網のなかに絡め取る。
カブトムシ、捕まえた!
意気揚々と明け方の人気のない道を自転車で家へと走らせる。ところが、公園前の角で、いきなり飛び出してきた警官に呼び止められた。ゲっ、マッポかよ。
まず、盗難自転車の確認である。これは良くあることなので、私も手慣れたものだ。ちゃんと防犯登録もしてある。名前やら住所やらを訊かれていると、妙なことを言い出した。
「その首から下げた双眼鏡は、何につかっているのかね? ちょっと持ち物検査をするよ」
はァ? 怪訝に思っている私の身体を探り出した。なんだ、こいつ、何を疑っているんだ。
「最近、このあたりで女性の下着ドロボーが出ていてね。坊や、なんだってこんな早朝に双眼鏡なんて持っているんだい」
おいおい、この警官の野郎、私を下着ドロボー扱いかよ。ビックリして、思わず口をポカンと開けてしまった。私だってスケベなことには興味はあったが、せいぜいがエロ本を読む程度だ。なんだ、下着ドロボーとは。
このまま交番に引っ張られそうになったので、あわてて事情を説明し、自転車の籠のなかに置いた虫かごのカブトムシをみせてやった。さすがに一応は納得したようだが、私を見る視線には疑いの色が濃厚に漂っている。
いくら私の持ち物を探しても、女性の下着なんざ見つかるわけがない。しかし、双眼鏡を使って覗きでもしていたのではないかと、あからさまに疑ってかかる様子は不愉快を通り越して、呆れてしまう。
ちなみに当時、私は小学5年生である。まだ思春期未満のガキである。下着ドロボーは論外だが、覗きなんて興味がない。第一、家に帰れば、妹たちやお袋に囲まれて育った私だ。自慢じゃないが、女性の下着なんざ、見慣れすぎて興味なんて、まったくない。
女三人に囲まれて育てば、覗きなんて意味がない。はっきり言うが、女性の下着よりもカブトムシのほうが、はるかにお宝である。そんなことも分からないのか。
この馬鹿な警官の奴、無線機で連絡をとっている。その結果、なにを言われたのか知らないが、しぶしぶ私を解放した。当たり前である。まさか本気で補虫網と籠に入ったカブトムシを抱えた子供を、下着ドロボーの容疑者としてしょっ引くつもりだったのか?
せっかくカブトムシを捕まえて意気揚々としていたのだが、この馬鹿な警官のせいで胸糞悪いったらありゃしない。まだ夏の暑い日差しが照る前の、さわやかな早朝だったのだが、気分台無しである。
ああ、気分悪い。こんな時は寝るに限る。まだ寝静まっている我が家に戻ると、私は再び寝床にもぐり込んだ。夢のなかで、警官の野郎をいたぶる光景を期待したが、結局なにも夢見ることなく8時ごろ目を覚ました。やっぱり二度寝は気持ちいいな。
子供の頃から警官とはトラブル続きの私だ。やっぱり警察は嫌いだね。これは大人になっても変わることがない、普遍の真理だと確信しています。