先週末、夏休みをとって伊豆へ旅行に行った。
子供の頃、母に連れて行ってもらった海を見たくなったせいでもある。もっとも当時、泊まった民宿は分からず、温泉ホテルに宿を取った。40年ちかく前に遊んだはずの海辺は、今も変わらず・・・と言いたいところだが、時代の流れのせいか少し寂れた感が否めなかった。
海の家など施設は、それほどでもないが、なんといっても人が違う。明らかに子供の数が減っている。大人にも高齢者が多く見受けられたのは気のせいではないと思う。そして当然ながら、浜をにぎやかにさせる若者の数も少ない。
私が子供の頃は、海水浴客でいっぱいで、砂浜に休む場所を確保するのも一苦労であった。また、波打ち際も人がいっぱいで、その隙間を縫って海へ入っていったものだ。泳いでいても、人にぶつかることが多くて、けっこう難儀した記憶があった。
しかし、今回の海浜はそれなりに繁盛していたが、砂浜には十分なスペースがあり、泳ぐ際にも周囲を気にする必要は薄かった。やっぱり人が減っていたと思う。ちょっと寂しくもあるが、ゆったりと休みを楽しめるのは確かなのだから、余計な感傷だと思う。
私は泳ぐよりも、日陰に寝そべり、もっぱら読書に勤しんでいた。もっとも日中ともなれば30度を超え、あまりに暑いので、体を冷やすために海に入る。軽く泳いで、砂浜に戻ってくると、ビールが美味い。ただ、少し暑すぎるとぼやいていたら雲行きが怪しい。
まさかと思ったが、午後に入ると炎天は雲に覆われ、気が付くと雨が降り出してきた。本が濡れるので、屋根のある場所に避難する。通り雨かと思い、むしろ涼しくなるので大歓迎と笑っていたが、そうは問屋が卸さない。
肌に突き刺すほどの激しい雨となり、まるで天からのシャワーだ。大半の観光客は更衣室や海の家に避難しているが、まだ子供や若者は海の中で遊んでいる。まあ、どうせ海水浴で濡れるも、雨で濡れるも同じこと。
そのうち豪雨なみに降り出すと、涼しいを通り越して寒いほどだ。それでも遊んでいる子供もいるので、海辺をパトロールする監視員たちも困っているようだった。でも、海水浴中止の旗は上がらなかった。
波の打ち際まで行って、同行した知人の子供の安否を確認してみる。大丈夫、さすがに逞しく育てられたせいか、笑顔でビーチボールで遊んでいる。やっぱり、男の子はこうでなくっちゃね。
ふと、沖合に目を向けると、雨で白波が立つ海面にぼんやりと人の手らしくものが突き出しているように見えた。
ん?
もう一度、目をやっても、その腕は波間に消えて見えない。まさか溺れたのか?いや、雨の落ちた痕跡だけが水面に見えるだけ。周囲を見渡しても、誰も気づいていない。はしご状の監視台に座って双眼鏡で観ている監視員も、とくに気づいた様子はない。
なんだ、私の見間違いか。私の眼鏡が雨で濡れていたせいだろう。
やがて雨は通り過ぎ、再び晴れ間が戻ってきた。ただし、雨が激しすぎたせいか、海水浴客の戻りは半分以下だ。だいぶ、ガラガラになった海水浴場は、風さえも寒く感じ、私は海に入ることにした。そのほうが温かく感じたからだ。
いや、本音を言えば、やはり先ほどの腕の突き出たあたりが気になったからだ。目の錯覚だと思うが、やはり確認したいではないか。その場まで泳ぎ着き、息を深く吸って潜ってみる。
この辺りは水深が5~8メートルぐらいだが、水質が綺麗で底まで見渡せる。数匹の魚影を見かけた他はなにもなく、やっぱり私の目の錯覚だった。安心して砂浜まで戻り、雲の切れ間から除く太陽を浴びて横たわる。
そのまま、うとうとして軽い眠りに入っていた。夢うつつに、波間に助けを求める人の手が見えた。
驚いて目が覚めた。あわてて波間に目を向けると、斜めにかたむいた太陽の日差しを受けて、海面が輝いているばかり。なにも怪しいことはない。でも、私の心臓はドキドキしている。
まったく、心臓に悪いぞ。
で、帰京して数日後になる今朝の新聞をみて、顔色が蒼ざめた。○□△海水浴場で水難事故・・・
よくよく読んだら、同じ名前だが違う県の海水浴場での事故だった。フゥ~まったく、三度も驚かされるとは思わなかったぞ。
子供の頃、母に連れて行ってもらった海を見たくなったせいでもある。もっとも当時、泊まった民宿は分からず、温泉ホテルに宿を取った。40年ちかく前に遊んだはずの海辺は、今も変わらず・・・と言いたいところだが、時代の流れのせいか少し寂れた感が否めなかった。
海の家など施設は、それほどでもないが、なんといっても人が違う。明らかに子供の数が減っている。大人にも高齢者が多く見受けられたのは気のせいではないと思う。そして当然ながら、浜をにぎやかにさせる若者の数も少ない。
私が子供の頃は、海水浴客でいっぱいで、砂浜に休む場所を確保するのも一苦労であった。また、波打ち際も人がいっぱいで、その隙間を縫って海へ入っていったものだ。泳いでいても、人にぶつかることが多くて、けっこう難儀した記憶があった。
しかし、今回の海浜はそれなりに繁盛していたが、砂浜には十分なスペースがあり、泳ぐ際にも周囲を気にする必要は薄かった。やっぱり人が減っていたと思う。ちょっと寂しくもあるが、ゆったりと休みを楽しめるのは確かなのだから、余計な感傷だと思う。
私は泳ぐよりも、日陰に寝そべり、もっぱら読書に勤しんでいた。もっとも日中ともなれば30度を超え、あまりに暑いので、体を冷やすために海に入る。軽く泳いで、砂浜に戻ってくると、ビールが美味い。ただ、少し暑すぎるとぼやいていたら雲行きが怪しい。
まさかと思ったが、午後に入ると炎天は雲に覆われ、気が付くと雨が降り出してきた。本が濡れるので、屋根のある場所に避難する。通り雨かと思い、むしろ涼しくなるので大歓迎と笑っていたが、そうは問屋が卸さない。
肌に突き刺すほどの激しい雨となり、まるで天からのシャワーだ。大半の観光客は更衣室や海の家に避難しているが、まだ子供や若者は海の中で遊んでいる。まあ、どうせ海水浴で濡れるも、雨で濡れるも同じこと。
そのうち豪雨なみに降り出すと、涼しいを通り越して寒いほどだ。それでも遊んでいる子供もいるので、海辺をパトロールする監視員たちも困っているようだった。でも、海水浴中止の旗は上がらなかった。
波の打ち際まで行って、同行した知人の子供の安否を確認してみる。大丈夫、さすがに逞しく育てられたせいか、笑顔でビーチボールで遊んでいる。やっぱり、男の子はこうでなくっちゃね。
ふと、沖合に目を向けると、雨で白波が立つ海面にぼんやりと人の手らしくものが突き出しているように見えた。
ん?
もう一度、目をやっても、その腕は波間に消えて見えない。まさか溺れたのか?いや、雨の落ちた痕跡だけが水面に見えるだけ。周囲を見渡しても、誰も気づいていない。はしご状の監視台に座って双眼鏡で観ている監視員も、とくに気づいた様子はない。
なんだ、私の見間違いか。私の眼鏡が雨で濡れていたせいだろう。
やがて雨は通り過ぎ、再び晴れ間が戻ってきた。ただし、雨が激しすぎたせいか、海水浴客の戻りは半分以下だ。だいぶ、ガラガラになった海水浴場は、風さえも寒く感じ、私は海に入ることにした。そのほうが温かく感じたからだ。
いや、本音を言えば、やはり先ほどの腕の突き出たあたりが気になったからだ。目の錯覚だと思うが、やはり確認したいではないか。その場まで泳ぎ着き、息を深く吸って潜ってみる。
この辺りは水深が5~8メートルぐらいだが、水質が綺麗で底まで見渡せる。数匹の魚影を見かけた他はなにもなく、やっぱり私の目の錯覚だった。安心して砂浜まで戻り、雲の切れ間から除く太陽を浴びて横たわる。
そのまま、うとうとして軽い眠りに入っていた。夢うつつに、波間に助けを求める人の手が見えた。
驚いて目が覚めた。あわてて波間に目を向けると、斜めにかたむいた太陽の日差しを受けて、海面が輝いているばかり。なにも怪しいことはない。でも、私の心臓はドキドキしている。
まったく、心臓に悪いぞ。
で、帰京して数日後になる今朝の新聞をみて、顔色が蒼ざめた。○□△海水浴場で水難事故・・・
よくよく読んだら、同じ名前だが違う県の海水浴場での事故だった。フゥ~まったく、三度も驚かされるとは思わなかったぞ。