柔道が日本で生まれた格闘技であることは間違いない。
しかし、柔道が世界に広まった結果、もはや柔道は柔道とはいえず、JUDOに変貌したと認めざる得ない。
予兆は十数年前からあった。へーシングに破れた時は、まだ驚くだけで済んだ。しかし、オランダのみならずフランス、ロシアなどは独自の柔道を編み出すに至った。当初、日本の柔道関係者は、その変わった柔道をレスリング崩れとして蔑視していたように思う。
だが、ヨーロッパにおける柔道の変質はそんな表面的なものではなかった。日本人ら黄色人種とは明らかに異なる上半身の強さを活用して、綺麗に組もうとする日本人選手にその柔道をさせなかった。
組み合っても、日本人選手同士とは明らかに異なる試合展開は、日本的な柔道では通用しない現実を示していた。もはや柔道は日本のお家撃ニは言い難い。ヨーロッパを中心に独自のJUDOが花開いたと言わねばなるまい。
それでも日本の柔道界は伝統的な柔道に拘った。変化する世界の流れに目を背け、ひたすらに伝統的柔道に固執した。その結果が、今回のロンドン五輪におけるメダルの数に現されている。
これは柔道に限ったことではない。元々、格闘技というものは、きわめて現実的なものだ。勝たねばならぬが故に、勝つための方法にこそ価値を見出す。たかだか100年程度の歴史しか持たぬボクシングでさえ、その技術の変化と戦い方の変貌は著しい。
ルールの制約がきわめて少ない総合格闘技ともなれば、5年前に無敵と思われた技が現在では通用しない。打撃にせよ寝技にせよ、毎年のように新しい技が編み出され、その対応技が開発されていく。
柔道という格闘技はきわめて実戦的なものだ。それは総合格闘技において、柔道出身者たちの活躍ぶりをみれば分かる。元々、武道なだけに相手を唐キ格闘技として、おそるべき実力を秘めている。
ただ、日本の伝統的柔道はその怖い部分を隠して、綺麗な投げ技等に集約して普及してきた。しかし、総合格闘技において柔道出身者たちの活躍は、柔道の怖さを世界に知らしめた。それがゆえに、柔道技に対抗するための技術を世界は編み出した。
事実、アテネで金メダルを獲り、その後柔道界を離れた石井選手は期待されながらも、総合格闘技の世界では苦戦が続く。忘れている方も多いと思うが、石井選手は日本人選手としては、柔道よりもJUDOを強く意識して戦い、遂に頂点に立った異能の人でもある。
従来の伝統的柔道から決別したがゆえに、石井選手が総合格闘技に転身を遂げた時、日本の柔道界は冷たく見放した。もちろん、柔道の世界の変化には気が付いているから、世界相手のサーキットに参戦したりして、日本独自の強化策にチャレンジしたりもしていた。
しかし、すべてが中途半端であったことが、今回のメダルの少なさに現れている。どんな建前を並べようと、結果がすべてだよ。
日本で生まれた柔道は、今や世界に広まりJUDOとして確立した。伝統を守るのは結構だが、オリンピックでメダルを目指すなら、JUDOに対応する戦略をとらねば、今後も本家の日本柔道は失墜を免れないと思う。