十代の頃、私はTVよりもラジオを聴いていた。
聴くのはもっぱら夜半から明け方だ。深夜放送のファンだった。タムタムタイムやオールナイトニッポンやセイヤングにパックインミュージック。さすがに深夜3時を超すと、翌朝すぐには起きれない。
だから、三時過ぎには床に就くようにしていた。ところがだ、この時間帯は、ある意味無法地帯の観があり、もっとも自由な放送がされていた時間帯であったと知ったのは、40代を過ぎてからだった。
この明け方近くの時間帯は、けっこうイイ曲がオンエアされることだけは知っていた。だから二段ベッドの上にもぐり込み、携帯ラジオにイヤホン付けて、4時過ぎまで音楽を聴いていた。たしか「歌うヘッドライト」だったかな。
深夜にトラックを走らせるドライバー向けの番組だったと思うが、単なる明るい流行歌だけを流す番組ではなかった。あの頃は特段、意識することはなかったが、あの深夜一時過ぎから4時ぐらいまでの時間帯は、放送禁止とされていた歌がけっこう流れていた。
もっとも当時、その曲が放送禁止だなんて知らなかった。いや、ご存知の方もいると思うが、今も昔も放送禁止歌というものは存在しない。ただ、マスメディアの側の自主的な判断で放送を控えていた曲があるだけだった。
そんなことは知らず、ただあの頃は良い曲だと単純に思っていた。ただ、昼間や夜の歌謡番組などでは、まったく耳にしな曲であることをちょっと不思議に思っていた。
率直にって暗い基調の曲が多い。だが、その暗さには心に刻まれる深い響きがあって、一人静かにじっくりと聞きたい名曲が多かった。
赤い鳥の「竹田の子守唄」や岡林信康の「チューリップのアップリケ」。いずれも、いつのまにやら放送禁止とされて、忘れ去られた歌となっていた。ただ、曲自体は素晴らしいものが多く、なぜか無自覚に、つまり放送禁止と知らずにオンエアされることもあったようだ。
今だから分かるが、当時のラジオの深夜放送は、比較的規制が甘く、大目に見られていたからこそ放送されていたのだろう。ちなみに一番記憶に深く残っているのは、つぼいのりおの「金太の大冒険」である。この歌の放送禁止は仕方ないと思うが、深夜放送なら良いのではないかい。
最近になって、意識してこの放送禁止の歌を努力して歌ったり、放送したりする動きが出てきた。AOLで知り合った歌手の夏川玲さんは、わざわざ放送禁止の歌を集めてコンサートをやったりしていた。
おかしなことに、抗議の声もまったくなく、むしろ拍子抜けするほど、あっさりと放送されたりしている。いったい、今までの放送禁止とは何だったのか?
詳しくは表題の本を読んでもらうこしたことはないが、その中でおそらく強烈な抗議をしてくるはずと世間から思われている部落解放同盟の方たちが口々に言うように、状況を考えて、その是非を問い、自らの意志で決断すべきなのだろう。
「エタ」とか「ヒニン」という言葉が差別用語であるのは確かだ。しかし、だからといって、その言葉自体を単純になくせば差別がなくなる訳ではない。むしろ、それは安易な誤魔化しというべきだ。
相手を侮辱する目的で使うことは良くないが、日本の長い歴史の中で、そのような事実があったことを記す目的で使うのは、むしろ当然であり、それを禁止(自主規制であったとしても)するのは、むしろおかしい。
にもかかわらず、抗議されるのを恐れてか、差別用語自体を禁じてしまっている。私もこの記事を書くにあたって気が付いたが、日本語ソフトもいつのまにやら自主規制しているようだ。「エタ」も「ヒニン」もすぐには転換できない。
断言するが、差別用語を禁じても差別はなくならない。これは、差別に対する事なかれ主義に他ならない。事なかれ主義では、問題解決とはならない。
ところで、なんだって101ストリングス(西ドイツの楽団)の「みすいろの恋」が放送禁止なんだ。ポール・モーリアのはいいのにね。訳わかりません。訳がわからないのに、平然と放送禁止にしてしまい、それを長年の慣習として受け入れてしまっていることにこそ、問題の本質があると思いますね。
まずは、自分の頭で考えて欲しものです。