最近、街並みを眺めていると歩きながらスマホや携帯を見入る人の姿が珍しくない。
ひどいものになると自転車を漕ぎながら入力までしている。器用というよりも危険であり無神経でさえある。いや、危険だと分かっているはずだ。それでも止められないのは、ある種の情報中毒とでもいうべき症状ではないかと思っている。
これは日本だけの現象ではなく、欧米やアジア、アフリカなどでも散見する光景であるようだ。そのせいだと思うが、グーグルやアップルは次世代型スマートフォンに眼鏡型や腕時計型など日常的に常用できるタイプの試作に励んでいる。
私のようなIT音痴からすると、ある種の異様な風景にしか思えないのだが、携帯型コンピューターであるスマートフォンに憑りつかれてしまった人は世界的にもかなりの数に上るのであろう。
御存じの方も少なくないと思うが、表題の漫画はそんな未来を予見した作品として名高い。なにしろこの漫画では、人間の脊髄に端末を直結させて、脳裏に情報を送り込む。すなわちコンピューターを人間に直結させている。まさに電脳を実現した未来社会を舞台に、犯罪者とそれを取り締まる警察とのドラマを描いている。
首筋の裏に端末があり、そこへコードを直結するとインターネットの世界につながり、映像や情報が脳裏に浮かぶ。これこそ、現在歩きながら、あるいは自転車を漕ぎながらスマホに夢中な人々の理想像ではないかと思う。
この漫画のなかで興味深かったのは、幼い頃の事故で脳と脊髄の一部以外は全て義体化(サイボーグ化)している主人公の草薙少佐と、人形使いと呼ばれる謎のハッカーとの電脳融合であった。
正体不明の凄腕ハッカーである「人形使い」が実はネット上でハッキング・プログラミングが自己増殖を繰り返し、擬似生命体として進化し知性を有するに至ったことを自白する。その人形使いが主人公との融合を願い、それを受け入れる。第一部はここで終わる。
果たして電子プログラミングが生命体として進化しうるのか、そもそも生命体とはなにか、知性とは何かについて考え込まざるを得なかった。
現在、アメリカの軍事関係の研究所では人工知能の開発に余念がないと聞くが、私はいささか懐疑的だ。そもそも知性とはなにかの定義さえあやふやなのに、その知性を設計できるのか、大いに疑問だからだ。
単なる生体組織の自己増殖なら現時点でもある程度可能だと思うが、それが自立した生命体へと進化するかは生命体の定義そのものにかかると思う。この漫画を読むたびに私は知性とか、生命体の定義について考え込まされる。
実を言うと、私はこの手のサイバーSFと呼ばれるジャンルがあまり好きではない。安易な超人願望の実現が軽薄すぎて、どうも好意的にはなれない。その唯一の例外が攻殻機動隊なのは、人間というよりも生命体や知性といったものに対する深い洞察が感じられるからだ。
それにしても、脳にマイクロチップを埋め込み、脳髄に端末を接合して直接インターネットにつながる未来って、本当に実現しそうで怖い。あたしゃ、当分スマホには手を出さずにおこう。臆病な性質なので、ネットにはまるのが嫌なんです。やっぱり私は本がいいな。