国力が衰退するとは、人が衰えることだ。
しかも、衰える時は、間違いなく政治からだ。古来より堕落した王様、利権争いにしか眼中がにない貴族、足を引っ張り合う官僚たちが国家を衰えさせ、最終的には亡国に至るのは、歴史を学べば分かること。
私の知る限り、古代から現代に至るまで、一切の例外はなく、衰亡した国家においては、その権力者たちの堕落と衰退が必ず存在する。外部からの侵略、あるい天災などにより滅んだ国もあるが、外的要因だけで滅んだ国は歴史上稀なのが現実だ。
拝金主義に陥った国民、やるべきことを丸投げするだけの政治権力者、権限振るえど結果責任はとらない官僚などがはびこる国家は、既に亡国の兆しが出ていると判じて、まず間違いない。
その典型とも云えるのが、我が日本国である。
バブルの崩壊で政策責任をとった官僚はいたか。バブルの崩壊での損失を直視せずに、先延ばしにして被害を拡大させた責任をとった政治家はいたのか。バブルの崩壊により、ますます拝金主義に陥った堕落した経営者が出たのは必然であり、より狡猾な外資に国内を食い荒らされたのは当然である。
責任をとるべき人が、それをやらずに逃げ去り、あるいは知らぬ顔をして居座る。まさに亡国の兆しに他ならない。
これは今も続いている。いや、拡大しているといっていい。
バブルを期に腐敗し、堕落し、その責任をとらずにしらばっくれたのは銀行をはじめとした金融機関である。日本の産業界で最も国際競争力がない、過保護のダメ企業が銀行であった。
だが、銀行だけではない。談合漬けのゼネコンは、競争入札が強要されると、仕事の丸投げでの利ザヤ稼ぎを仕事と思い、肝心の建設に対する責任感を失った。横浜のマンションだけではないはずだ、偽装工事は。
そして、遂には日本の誇りとする自動車産業にも、この腐敗は及んでいることが分かった。アメリカで騒ぎになったタカダ社製のエアバック問題がその典型である。タカダ社の対応は、日本の銀行にも似ていて、その責任感のなさに唖然としたものだ。
やはりトップが、責任回避と無責任を繰り返せば、それは当然に全体に波及するのだろう。
表題の書において、高杉良はバブル崩壊から2007年あたりまでの、日本を主導してきた人たちの無責任ぶりを厳しく指弾する。それは大手マスコミが避けてきた行為であり、観て見ぬふりをしてきたことでもある。
この書が出てから、そろそろ十年近くたつが、事態はいっこに良くなる兆しはなく、むしろ悪化している。新聞やTVが敢えて報じない、不愉快で不快な事実を知りたかったら、読む価値はあると思う一冊です。